錦ケ丘(にしきがおか)は、宮城県仙台市青葉区の町丁。郵便番号は989-3123[2]。住民基本台帳に基づく人口は9,050人、世帯数は3,094世帯(2025年4月1日現在)[1]。現行行政地名は錦ケ丘一丁目から錦ケ丘九丁目であり、住居表示は全域で未実施[6]。
JR東日本仙山線愛子駅の南、蕃山の西側に造成されたニュータウンであり、現在はハートヒルズ錦ケ丘として、錦エステートが分譲を行っている。旧宮城町域の人口の1割以上を占める9千人弱の住民が住む(2021年10月1日時点)[7][8]。
1950年代よりはじまり、70年代に本格的に行われるようになった仙台市およびその周辺自治体(旧・泉市や旧・宮城町)の宅地造成事業は、当初仙台市の北部および南部を中心に行われていたが、次第に西側にも向けられるようになる。65年に折立団地が宮城県住宅供給公社によって造成されたのをきっかけに、70年には中山吉成が双葉綜合開発、みやぎ台が丸善石油不動産、75年には西花苑がフジタ工業および伊藤忠商事、76年には貝ケ森が住友不動産に、78年には茂庭台団地が仙台市によって造成され、その後も82年には栗生が、84年には国見ケ丘が造成された。そして翌85年、山万[注 1]によって錦ケ丘が造成された。
1989年(平成元年)の分譲開始から人口が1,000人を突破するまで10年かかった。しかし、2000年(平成12年)に仙台市都心部と秋保温泉の最短ルートとなる宮城県道132号秋保温泉愛子線の新道が開通し、錦ケ丘内を通過する自動車が6倍以上に激増、2001年(平成13年)には錦ケ丘住宅販売(現・錦エステート)が設立され、2002年(平成14年)には県外からも広く集客した「仙台ヒルサイドアウトレット」が開業。すると100人/年前後だった人口増加数が一気に上昇し始めた。2004年(平成16年)にはステージショー等も行われるハウスメーカー十数社のモデルハウス内覧・即売会である「錦ケ丘住宅祭イエ・コレ」(河北新報社・ミヤギテレビ共催)を初開催した[9][10]。「イエ・コレ」は春と秋の年2回を基本とし[9]、新聞・テレビで広告された。2006年(平成18年)には1,000世帯を超え、前年比で627人/年も増加して住民も3,000人を超えた。その後、広域集客力がある仙台市天文台が移転してきたが、市内にアウトレットモールが2件開業したため「仙台ヒルサイドアウトレット」は「ヒルサイドショップス&アウトレット」となり、愛子バイパス沿いにロードサイド店舗が多数立地するようになるとさらに地域密着傾向を強め「錦ケ丘ヒルサイドモール」となった。集客施設の変化はあれ、人口増加は続き、2016年(平成28年)時点で2,423世帯、7,555人が住む市内有数の巨大ニュータウンの1つになった。なお、かつて山万アーバンフロントは「総区画数4,238戸、計画人口約15,000人」[11]、錦ケ丘住宅販売は将来「4,500世帯」[12]等と広告していた。
縄文遺跡や弥生遺跡が複数発見されており、さらに、街外であるが、錦ヶ丘に接する上愛子の御殿山に、約1200年前に建てられた仙台市青葉区で最も古い神社である国分一宮諏訪神社、御殿山稲荷神社、水分神社がある。また、その山内には室町時代に建てられた山城や、諏訪神社の境内にある寺子屋跡が存在する。
錦ケ丘はもともと仙台市立広瀬小学校[注 4]の学区であったが、仙台市が政令指定都市に移行して以降、新興住宅地を中心に仙台市西部地域の人口が増加。広瀬小学校の生徒数は激増した。これに対応すべく、2009年4月に仙台市立愛子小学校を分離・開校。これに伴って錦ケ丘の学区が変更された。しかし翌2010年、愛子小学校の生徒数急増によって文部科学省の学校分離新設の目安となる31学級を上回ったために、さらに愛子小学校を分離し、錦ケ丘に小学校を新設することを決定。2015年度開校時の児童数は961人[27]。中学校も同様に仙台市立広瀬中学校の生徒数激増に伴い、2019年度に錦ケ丘中学校が新設された[29]。
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