酒井 あきよし(さかい あきよし、本名:酒井 昭義(※読みは左記と同じ)、1942年10月23日[1] - )は、日本の脚本家。熊本県出身[2]。最終学歴は明治大学文学部演劇科卒業[2]。
来歴・人物
生家は漢方薬の店[2]。浪曲語りの一座と一緒に各地を回って旅芝居の幕間に店主の父が漢方薬を売って歩くということも家業の一つであり、幼少の頃はこれに付いて行ったこともあったが[2]、その幼少の頃に漢方薬店は閉店[2]。高校は最初商業高校だったが、算盤が苦手だったこともあって退学し改めて普通高校に入学[2]。その高校生時代から演劇をやっていた[2]。大学生時代から日活に自らの脚本の原稿を持ち込むなどしていた[2]。
大学卒業後、竜の子プロダクション(以下、タツノコプロ)に入社。同社の企画文芸部に在籍中の1972年、『樫の木モック』の第11話「母の愛が知りたいの」にて脚本家としてデビューした。同部では脚本のみならず企画にも積極的に携わった。
1977年、タツノコプロを退社し、時を同じくして同プロから独立した鳥海尽三率いる鳥プロの設立に参加。『宇宙魔神ダイケンゴー』の企画制作や、鳥海や陶山智との共同ペンネームで漫画原作を執筆するなどの活躍を見せたが、『科学忍者隊ガッチャマンF』の企画・脚本を最後に鳥プロは解散。
その後はフリーの脚本家として、ドラマ・アニメ等で活躍した。30代後半から実写テレビドラマの脚本にも進出[2]。
現在は、アニメ制作会社「プロダクション リード(旧・葦プロダクション)」を仕事の拠点としている。なお、「葦プロダクション」の名付けの親である。
主な参加作品
アニメ
特撮
ドラマ
出典