辻本 聡(つじもと さとし、1960年2月19日 - )は、大阪府出身[1]のオートバイレーサー、レーシングドライバー、モータースポーツ解説者。
経歴
国際A級に昇格し、ヨシムラ・スズキチームに移籍した1985年に才能を開花させ、全日本ロードレース選手権 TT-F1クラスのシリーズチャンピオンを獲得[2]。翌1986年にはシーズン序盤に足を骨折したものの[3]シリーズ二連覇を果たした。また同年の鈴鹿8時間耐久ロードレースではケビン・シュワンツと組んで3位表彰台に立った。
1987年にはアメリカに渡り、3月に開催されたデイトナ200マイルレースで2位に入る活躍を見せる。AMAスーパーバイク選手権に全戦出場する予定であったが、開幕戦でチームメイトのシュワンツの転倒に巻き込まれ、首に大きなダメージを負ってしまった。この怪我が原因で世界を舞台にした活躍チャンスを失ってしまった[4]。
その後怪我からの復帰を目指し、1988年にスズキ・ワークスの「Shick ADVANTAGE SUZUKI」エースライダーとしてRGV-Γ500を駆って全日本ロードレース選手権GP500クラスに参戦。しかし、開幕戦BIG2&4予選で再度転倒し負傷。この影響が長引き、RGV-Γではなかなか表彰台に立つことが出来なかった。1991年シーズンを最後にスズキ・ワークスを離れ、1992年からは自身でホンダのサテライトチームを作り、マシンはHRCからホンダ・NSR500の供給を受ける体制となった。メインスポンサーとなったam/pmをはじめ、ヨシムラ時代につながりのあった共同石油(合併に伴いジャパンエナジーなどを経て現ENEOS)などのスポンサーを獲得。鈴鹿8耐では1993年にアーヴ・カネモトのチームでRVF750を駆ってエディ・ローソンと組み、2位表彰台に立った。1995年にはHRCチームで伊藤真一と組んで再び2位を獲得した。
1996年からは「ドライダー」(ドライバー + ライダー)として4輪レースにも挑戦を開始、1998年にはホンダ・シビックタイプRを駆ってスーパー耐久シリーズにフル参戦した。第5戦十勝24時間レースで上位クラスのスカイラインGT-R等を差し置いてスーパー耐久勢トップで完走を果たす等の活躍を見せ、ST-4クラスシリーズチャンピオンを獲得した。ちなみにこの年辻本が乗った「ギャザズ・ドライダー・シビック」は、PlayStation 2のレースゲーム、グランツーリスモ4に収録されている。
2002年には自身11回目となる鈴鹿8耐出場を果たした。42歳の辻本は岩城滉一率いるチーム・イワキから、18歳の高橋裕紀をチームメイトにVTR1000SP-2を駆り、総合30位で完走を果たした。
モータースポーツ関連番組の司会者・解説者としても活躍しており、MotoGP関連では日テレG+での生中継と、ウィック・ビジュアル・ビューロウが発売する日本語版公式DVDでの解説を務める傍ら、横須賀でカフェPILOTA MOTOを経営している[5]。
2021年は全日本ロードレース選手権JSB1000クラスに参戦している津田一磨が所属するベビーフェイス・パワード・バイ・ヨシムラのチーム監督に就任した。
主なレース戦績
- 1985年
- 1986年
- 1989年
- 1990年
- GP500 シリーズ7位 (スズキ・RGV-Γ500)
- 1991年
- GP500 シリーズ9位 (スズキ・RGV-Γ500)
- 1992年
- 1993年
- GP500 シリーズ8位 (ホンダ・NSR500)
- 2002年
スーパーバイク世界選手権
1995年
- 1996年
- 1戦のみスポット参戦 (ウルトラマンモデューロシビック / パートナー:伊藤真一、黒木健次)
- 1997年
- 5戦スポット参戦、最高位クラス7位 (ウルトラマンギャザズシビック / パートナー:佐藤久実、伊藤真一[10] )
- 1998年
- 8戦フル参戦、ST-4クラスシリーズ優勝 (ギャザズ・ドライダー・シビック / パートナー:山本泰吉、嶋村馨[11])
- 1999年
- 2戦スポット参戦、クラス1勝・2位1回 (ギャザズ・ドライダー・シビック / パートナー:山本泰吉、宮城光、福田良[12])
- 2000年
- 1戦スポット参戦、クラス2位 (ZERO・ドライダー・シビック / パートナー:山本泰吉)
脚注
外部リンク