「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」または「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人」、「西欧のイスラム化に反対する欧州愛国主義者」(ドイツ語:Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandes、略称:PEGIDA(ペギーダ))は2014年10月20日にドイツに於けるデモ行動に始まった政治団体とその活動。西欧圏におけるイスラームの暴力的な活動を制することを主張する。現在、ドイツ国内各地での社会現象化が懸念されており、ドイツ国内でも議論が交わされている。
ベルリン:「西洋社会のイスラム化に反対するベルリン(略称:ベアギーダ)」、ドイツ語: Berlin gegen Islamisierung des Abendlandes、(略称:Bärgida)は、2015年1月5日、旧東ベルリンの中心地である市庁舎付近からブランデンブルク門へウンター・デン・リンデンを通行するデモを計画し約700名が集ったが抗議集会に途を閉ざされ、中途散会した。ドレスデンに比較するとデモへの参加者は極端に少ないが、背景にある右翼団体の強い支持とその関係は注視するべき点である[38]。
ヴュルツブルク: 『亡命者の権利利用を抑止』とのタイトルでペギーダ同様月曜日にデモを行っている。2014年12月15日には100名規模となった。主宰は「西洋社会のイスラム化に反対するバイエルン(略称:バギーダ)」、ドイツ語: Bayern gegen Islamisierung des Abendlandes、(略称:Bagida)
ミュンヘン:2015年1月5日、「西洋社会のイスラム化に反対するミュンヘン(略称:ミュギーダ)」ドイツ語:München gegen die Islamisierung des Abendlandes(略称:Muegida)と自ら称する団体は「君たち急進主義はいらない(ドイツ語:Wir wollen euren extremismus nicht)」とプラカードを掲げているが[39]、同運動は右翼団体の”自由”(ドイツ語;Die Freiheit)を名乗る団体の呼びかけによって実現している。1月5日の運動は60人ほどの参加者がいたが、抗議活動と小競り合いの上、100メートルで中途散会した[40]。
カッセル: サラフィー主義に反対するフーリガン運動に関わっていたミヒャエル・フィーマンが主宰する「カッセルの住人による西洋社会のイスラム化に反対する運動(略称:カギーダ)」、ドイツ語: Kasseler gegen die Islamisierung des Abendlandes(略称:Kagida)デモの参加者は80名程度[41]。
ライプツィヒ: 「西洋社会のイスラム化に反対するライプツィヒ(略称:レギーダ)」ドイツ語:Leipzig gegen die Islamisierung des Abendlandes(略称:Legida)は2015年1月12日に行われた。警察当局の発表では4,800人が参加し、ドレスデン以外の都市で行われた最大規模の行動となった[42]。当日は大規模な交通規制が敷かれ、またムハンマドを揶揄・風刺する画像の掲示も市当局によって禁止された[43]。2015年1月21日にも市内では30,000人を超える大きな規模で1989年、旧東独時代に行われた反体制派運動月曜デモのルートを行進する予定だったが、治安保持の観点から当局はこのルートを変更・短縮するように認可内容を変更した。最終的には15,000人が参加したが、抗議派との小競り合い等、一部が暴徒化し、ジャーナリスト数名を含む負傷者が出ている。また抗議側からの行動かどうかは定かになっていないもの、往来妨害行為等も行われる等、市街は緊迫した。行進は中途で断念したが集会は予定通り続けられた。ペギーダの広報担当、エルテルは一連の行動を鑑み、レギーダとは距離を置く旨を明らかにした[44]。
ハノーファー: 「西洋社会のイスラム化に反対するハノーファー(略称:ハギーダ)」ドイツ語: Hannover gegen die Islamisierung des Abendlandes(略称:Hagida)2015年1月12日に決起集会を行ない、200名程度の規模で行進を行った。正式なデモを2015年1月26日から毎週行うとしている。多族多元主義に基づき外国人とイスラームを敵視・排斥する新右翼派の国民のアイデンティティー(ドイツ語:Identitären)のオラーフ・シュルツが呼びかけ人となっている[45]。
シュトラールズント: 「西洋社会のイスラム化に反対するメクレンブルク=フォアポンメルン(略称:ムフギーダ)」ドイツ語:Mecklenburg-Vorpommern gegen die Islamisierung des Abendlandes(略称:Mvgida)は、2015年1月12日に同市内で集会行進を行い、参加者は警察当局の発表によると260人程度[46]。同団体は自らのフェイスブックで同市内での集会には「宗教的な狂信と戦争反対」を掲げ、500人前後の参加者があったとしている。
ザールブリュッケン: 「西洋社会のイスラム化に反対するザールランド(略称:ザーギーダ)」ドイツ語:Saarland gegen die Islamisierung des Abendlandes(略称:Saargida)は2012年1月12日に同市内での行進を予定していたが、当日になって市内中心部での300名規模の決起集会を開催する留まっている[48]。
ブラウンシュヴァイク:「西洋社会のイスラム化に反対するブラウンシュヴァイク(略称:ブラギーダ)」、ドイツ語: Braunschweig gegen Islamisierung des Abendlandes(略称:Bragida)は2015年1月19日に開催を予定し、250程度が集ったが開催直前に警察当局側が「安全性の観点から」を理由に中止させられた。ただし、関係当局はドレスデンのようなテロ予告や脅迫のような通告はなかったものとしている。[49]
デュースブルク:「西洋社会のイスラム化に反対するノルトライン・ヴェストファーレン」、ドイツ語: Gegen die Islamisierung des Abendlandes Nordrhein-Westfalen(略称:Pegida NRW)は2015年1月19日に600人規模の集会を行なったが[50]、壇上で演説したエメリッヒ・アム・ラインのシュペートリング神父は、ミュンスターのフェリックス・ゲン司教から神の名の下における発言と説教を禁じられた[51]。
ロストック: ハノーファーに於けるサラフィー主義に反対するフーリガン運動に関わっていた人物が主宰する「[https://www.facebook.com/ROGIDA.14?fref=ts 『西洋社会のイスラム化に反対するロストックの住人による(略称:ロギーダ)、ドイツ語: Rostocker gegen die Islamisierung des Abendlandes(略称:Rogida)』。2014年12月に、2015年1月12日、ロストック市内で300名規模の集会を予定していたが、同市の報道官によると同年、1月6日にデモの開催許可を取り下げ中止した[53]。
デンマーク: 2015年1月5日、ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に接するスナユラン県のハンダースレフでデンマークのイスラム化を阻止する(デンマーク語:Stop Islamiseringen af Danmark、略称:SIAD)と称する団体が反イスラムを掲げるデモを行い、2015年1月19日には首都コペンハーゲンでデンマーク国民党の国会議員候補だったニコライ・センネルスが主宰したイスラム過激派に反対する.Pegida.dkが、またオーフス・エスビャウでもデンマークのイスラム化を阻止することを掲げた集会が行われた[56]。
スウェーデン:2015年1月20日の段階では、Pegida Sverige と称する団体のフェイスブック上での活動しか確認されていない。(賛同者約8,200人)
オーストリア:2015年2月2日、『西洋社会のイスラム化に反対するウィーン』(ドイツ語: Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandes Wien、略称:Pegida Wien)名義の任意団体が”平和な市民運動”として警察当局にデモ行進の開催許可を申請し、集会行動を計画している[61]。
ドレスデン:キリスト教徒、イスラム教徒やユダヤ人協会と、ティリッヒザクセン州首相が呼びかけ2014年12月8日に9000人規模の抗議デモ『みんなのドレスデン(ドイツ語:Dresden für alle)』を行った[64]。2015年1月5日の段階ではペギーダへの参加者が18,000人と増加したのに対して抗議集会への参加者は3,000人に留まっていた[65]その後、パリで発生したシャルリー・エブド襲撃事件から3日後の1月10日に行われたペギーダ抗議集会には3,5000人が参加[66]。その3日後の開かれた反イスラムを目的とする集会には約25000人が出席した[67]。12回目のペギーダのデモ行進にも7,000人が抗議集会に集った[68]。2015年1月19日は、警察当局の占拠禁止令を受けて抗議集会は行われない予定。
ハンブルク:2015年1月5日、「西洋の愚劣化に反対する寛容な欧州人」(略称:ティギーダ、ドイツ語: Tolerante Europäer gegen die Idiotisierung des Abendlandes、略称:Tegida)を掲げ、議員や労働組合等」、複数の政党も参加の下特定の集団指導に依らない4000人規模の抗議集会を行なった。一時は中央駅周辺の道路封鎖も行われたが警察当局も「一環の行動は現時点で平和的に行われている。」としている[71]。 2015年1月12日にも、同人数規模の抗議集会を行ない、アイダーン・ウーズュス連邦首相府移住・難民・統合担当官も参加した[72]。