蟹江 栄司(かにえ えいじ、1941年〈昭和16年〉11月21日[4][5] - 1985年〈昭和60年〉10月13日[3][4][6][8])は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京府東京市(現:東京都江東区)出身[2]。青二プロダクションに所属していた[6]。
東京電機大学高等学校卒業[1]後、喫茶店のボーイや花屋の店員などを経て、30歳より声優に転向[2]。アニメでのデビューは 『少年徳川家康』[7]。東京アナウンスアカデミー(現:東京アナウンス・声優アカデミー)卒[4]。楡プロダクション[9]を経て最後は青二プロダクションに所属していた[6]。数々のアニメで重要な役柄を演じた他、深夜ラジオ番組のDJやパーソナリティー、バンダイやポピーなどの玩具会社をはじめとする数多くのCM[7]や、テレビアニメのナレーターや洋画の吹き替えを務めた。特にCMに関しては最盛期には月に60本も請け負っていたという。
1985年10月2日、東京都港区のスポーツジムでトレーニング中に突然倒れ、東京都渋谷区恵比寿にある東京都立広尾病院[3]に運ばれたが意識は戻らず、同年10月13日に急性クモ膜下出血により43歳で死去[2][4][10]。
『キン肉マン』ではラーメンマンを演じていたが、プロデューサーの田宮武によると、『キン肉マン』を今日の人気番組・人気映画に盛り立ててくれた最大の功労者だったと語る[10]。劇場用のアフレコの後東京都新宿区北新宿の居酒屋で皆で一杯やっていた時など、一番の大きな声で喋り、少しエッチなことを言って皆を笑わせていた[10]。時にはいつも大事に持っていた当時幼かった娘の写真を見せてくれたり、とても優しいパパだったと田宮は語る[10]。死去から2週間後の1985年10月27日、『キン肉マン』第110話Aパートのサブタイトルが「ラーメンマンは死なず! の巻」に急遽変更されて放送された。スタッフによると最後のラーメンマン(同時期にキン肉マンの師プリンス・カメハメも担当していた)を演じた蟹江に対する追悼の意をこめたサブタイトルだという。また、この日は蟹江の告別式が営まれた日でもあった。
特技はスペイン語[11]、スペイン舞踊[1]。
常日頃からトレーニングジムに通って体を鍛えていた[10]。
大の子供好きであり、仕事休みには近所の公園で当時小学生の息子、幼稚園入園前の娘と遊んでいる姿を目撃されていた[2]。仕事で多忙の中でも、小学校のPTA会長も務めていた[2]。死後も東京都大田区久が原二丁目にある自宅によく、息子の友人たちが「ラーメンマンのおじさんに」と、焼香へ訪れることが多かったという[2]。
蟹江の死後、持ち役・ナレーションを引き継いだ人物は以下の通り。