菩提心(ぼだいしん、梵: bodhi-citta)とは、さとり(菩提,bodhi)を求める心(citta)のこと[1][2]。または「生きとし生けるものすべての幸せのため、自分自身が仏陀の境地を目指す」という請願と、その実現にむけて行動する意図をいう[3]。大乗仏教に特有の用語である[2]。菩提心は阿耨多羅三藐三菩提心の略とされ[注釈 1]、無上道心、無上道意、道心ともいう[1][4]。
特に利他を強調した求道心のことを菩提心といい、大乗仏教では「さとりを求めて世の人を救おうとする心」という意味も菩提心に含める[2][1]。菩提心は、菩薩においては四弘誓願(しぐせいがん)にあたる[4]。菩提心は大乗仏教の菩薩の唯一の心であり、一切の誓願を達成させる威神力をもつとされた[2]。
菩提心とは何かについては特に漢訳仏教圏で古くから論議され[5][要検証 – ノート]、龍樹(中観派を創始した龍樹とは別人)の『菩提心離相論』や著者不詳の『菩提心觀釋』などが知られている[6][要検証 – ノート]。
発菩提心と発心
菩提心を起こすことを発菩提心(ほつぼだいしん)という[7]。悟りを求めようと決心することであり、発心のことである[7][注釈 2]。
菩提心のメタファー
菩薩の菩提心は、インド原産のクワ科イチジク属の植物ベンガルボダイジュ(banyan)に喩えられる[9][4]。広大に広がる姿が〈あまねくいっさいを覆う〉菩薩の菩提心の喩えとされ、一方では「形も定まらず、始まりも終りもない」輪廻の象徴ともされる[4][注釈 3]。
なお、菩提の象徴はインドボダイジュ(bodhi tree, bo tree)であり、釈迦の入滅の象徴は沙羅双樹である[要出典]。
脚注
注釈
- ^ 阿耨多羅三藐三菩提心に相当するサンスクリット単語は無いとする説もあり、それによれば、菩提心は「阿耨多羅三藐三菩提心へ向けて心を発す」という形で用いられるのが普通だとされる[2]。
- ^ 発菩提心の短略とされることのある「発心」の原語は、もっぱら菩提(bodhi)を含まない cittôtpāda などである[8][要検証 – ノート]。
- ^ ベンガルボダイジュのサンスクリット名はニヤグローダ(nyagrodha)で、下に向かって生長する/長さ1尋(6feet)などの意味がある[10][11]。
出典
関連項目