荒川 友司(あらかわ ともじ、1942年11月16日[1] - 2000年8月27日[1][2][3])は、地方競馬・笠松競馬場に所属していた調教師。
北海道沙流郡門別町出身[1]。中学校卒業後の1959年に道営競馬で厩務員となり[1]、笠松競馬へ移籍後の1963年に騎手免許を取得する[1]。 1967年サラブレッド大賞(笠松)でダートオーに騎乗し重賞初勝利。他に準重賞時代の1971年第1回秋風ジュニアをスピーデーコンカーに騎乗し勝利している。1968年結婚。
1972年に調教師免許を取得[1][2]。地方競馬通算1384勝[1][2]、重賞101勝[2][注 1]の実績を挙げ、NARグランプリでは受賞者の常連であった[5]。1995年には管理馬のライデンリーダーが中央競馬の報知杯4歳牝馬特別で優勝[6][2][3]。1997年の全日本サラブレッドカップでは管理馬が1着から3着までを独占する[7]など、交流競走でも結果を残した。
1999年秋に[1][8]肺癌のため[8]闘病生活に入り[1]、翌2000年8月に[3][9][1]現役のまま死去。