胎内川(たいないがわ)は、新潟県胎内市を流れる河川。二級水系の本流。
新潟県胎内市下荒沢の飯豊山地藤十郎山(とうじゅうろうさん)に源を発する。北西に向かい櫛形山脈を横断し胎内高原を流れ、胎内市荒井浜と胎内市笹口浜の境界を通り日本海に注ぐ。 中流域以降の扇状地では、夏の渇水期に川水が枯れて水無川となることもある。伏流水となり扇状地末端各地に湧水として湧き出る。
胎内川は元来、日本海岸近くで右折北上し、荒川の河口付近で合流していた[1]。 胎内川を荒川から分離する計画は享保年代からあったが、明治21年(1888年)に胎内川放水路(現胎内川)が完成して直接日本海に流れ込むこととなり、残った流路が現在の乙大日川となった[2]。
1966年(昭和41年)の7.17水害、1967年(昭和42年)の8.28水害(羽越水害)では流域に被害が発生し、特に後者では当時の中条町と黒川村(いずれも現在の胎内市域)で死者39名の甚大なものであった[3]。
川の上流にある朳差岳の雪形「鯛頭(たいがしら)」に因んでいるとする説[5][4]、扇状地域では伏流水となり河口付近で再び現われる事からの連想で「胎内」とついたなどの説がある[8]。また、夏になると川の水が枯れて地下水となることが胎内に似ていることに由来するという説もある[9]。
かつては、アイヌ語の「テイ・ナイ」(清い川)、「タイ・ナイ」(森の中を流れる清い川)[9]、または「トイ・ナイ」(toy-nay 泥の川)を語源とするとされ、胎内市が合併でできる際にも『「胎内」はアイヌ語で「清い水の流れ」を意味する』というものがまちだよりに掲載されたこともあった[10]が、近年では、これは誤った言い伝えであると唱えられている[5][4]。
胎内川漁業組合ではサケの栽培漁業に取り組んでおり、下赤谷養殖場にて採卵し孵化させた稚魚を胎内川に放流している。2009年のサケ漁獲量は1098尾(うちメス536尾 オス562尾)であった[11]。
この項目は、河川に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ河川)。
都道府県別スタブ(新潟県)