『聖衣剥奪』(せいいはくだつ、西: El Expolio)は、エル・グレコによる絵画作品。トレド大聖堂の祭壇画で、1579年に完成した。本作はトレド大聖堂の聖具室に展示されている[1]。
1577年、グレコはトレド大聖堂の祭具室の祭壇画を依頼された。ローマ時代グレコの親友であったルイス・デ・カスティーリャの父親であるディエゴ・デ・カスティーリャ(スペイン語版)が当時聖堂の司祭長の職にあったため実現したといわれる。本作は1579年6月に完成した[2]。
本作の主題はマルコによる福音書の16行から19行に渡って記されている[2]、カルヴァリオの丘でのシーンが描かれている[3]。「聖衣剥奪」の主題は当時極めて珍しいものであった[2]。後述の問題視されたポイントは二つある[2]。一つ目は画面左下に描かれた聖母マリア、マグダラのマリア、小ヤコブの母の存在である[2]。彼女たちに関する聖書の記述はなく、それ故にグレコのこの解釈は異端的と考えられることとなった[2]。この描写は13世紀のフランシスコ会士であった聖ボナヴェントゥラの著作である『キリスト受難に関する考察』を典拠にしたと考えられている[1]。
平面的で上下方向に積み上げていく傾向はマニエリスムにみられる傾向であり[4]、当時斬新だったがゆえに批判されたと考えられている[2]。この統一的な視点のない空間はビザンティンの影響が指摘されている[1]。
それ以外にも視点移動を伴う動的空間や、バロックの先取りとみられるダイナミックな身体表現などが本作では表現されている[2]。
また、傷一つないキリストの聖衣が次の瞬間に兵士たちの手によって引き裂かれるまでの一瞬を通じて、空間の緊張感を視覚的な表現に転換している[3]。
画面構成は独創的であったが、それ故に注文主であった大聖堂参事会側から非難の声が上がった[2]。この結果、当初グレコが要求した額から大幅に報酬が減額された[2]。二点目として、キリストを取りまく群衆の頭が、そのキリストよりも上に描かれていることも批判の対象とされた[2]。松井の調査によると、当時大聖堂は美術家に対する査定制度におけるアドバンテージ、査定額に関する観衆的な算定方式、造営主任による作品の監督や構図に対する認可の三点を以て事実上表現の統制を行うだけの力があったとされる[5]。グレコは訴訟を起こし、敗訴すると作品の引き渡しを頑として拒否。結局訴訟調停役のアレホ・デ・モントーヤによる評価もあり[3]、グレコは大聖堂側が払おうとしたよりもやや高い金額を受け取った。トレドで制作を続けたグレコはその後もしばしば報酬のことで注文主と争った[6]。
『ジュリオ・クローヴィオの肖像』(1571年頃) · 『ロウソクに火を灯す少年』(1571-1572年) · 『胸に手を置く騎士』(1580年頃) · 『フランス王聖ルイ』(1592-1595年頃) · 『アントニオ・デ・コバルビアスの肖像』(1595-1600年) · 『自画像』(1595-1600年) · 『枢機卿フェルナンド・ニーニョ・デ・ゲバラの肖像』(1600年頃) · 『ホルヘ・マヌエル・テオトコプリの肖像』(1597-1603年頃) · 『若い貴紳の肖像』(1600-1605年頃) · 『修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像』(1609年頃) · 『枢機卿フアン・パルド・デ・タベーラの肖像』(1609年) · 『フランシスコ・デ・ピサ博士の肖像』(1610-1614年)
『モデナの三連祭壇画』 (1567-1568年頃) · 『最後の晩餐』(1568年) · 『盲人の治癒(ドレスデン)』(1567-1570年頃) · 『エジプトへの逃避』(1570年頃) · 『受胎告知(1570年)』(1570-1572年) · 『盲人の治癒(パルマ)』(1571-1572年) · 『神殿を浄めるキリスト(ミネアポリス) 』(1570-1575年) · 『受胎告知(ティッセン=ボルネミッサ美術館)』(1575-1576年頃) · 『イエスの御名の礼拝』(1577-1579年) · 『聖衣剥奪』(1579年) · 『聖セバスティアヌ』(1576-1579年) · 『聖母被昇天』(1577-1579年) · 『聖三位一体』 (1577-1579年) · 『悔悛するマグダラのマリア(ウスター美術館)』(1577-1580年) · 『聖マウリティウスの殉教』(1580-1582年) · 『十字架を担うキリスト(メトロポリタン美術館)』(1577-1587年) · 『オルガス伯の埋葬』(1586-1588年) · 『聖ペテロの涙(ボウズ美術館)』(1580-1589年) · 『聖ペテロと聖パウロ』(1587-1592年頃) · 『十字架上のキリストと礼拝する2人の寄進者』(1590年頃) · 『十字架を担うキリスト(カタルーニャ美術館)』(1590-1595年)『ゲッセマネの祈り』(1590-1595年) · 『聖家族(タベーラ施療院)』(1590-1596年) · 『聖アンデレと聖フランチェスコ』(1595-1598年) · 『聖マルティヌスと乞食』(1597-1599年) · 『聖母子と聖アグネスと聖マルティナ』(1597-1599年) · 『神殿を清めるキリスト(ロンドン)』(1600年頃) · 『受胎告知 (1600年)』(1596-1600年) · 『羊飼いの礼拝 (ルーマニア)』(1596-1600年) · 『 キリストの洗礼 (1600年)』(1596-1600年) · 『 キリストの磔刑 (1600年)』(1596-1600年) · 『 キリストの復活 (1600年)』(1596-1600年) · 『聖霊降臨』(1596-1600年) · 『聖ヨセフと幼子イエス(サンタ・クルス美術館)』(1600年頃) · 『聖イルデフォンソ(イリェスカス)』(1597-1603年) · 『聖母戴冠(イリェスカス)』(1603-1605年) · 『受胎告知(イリェスカス)』(1603-1605年) · 『慈愛の聖母(イリェスカス)』(1603-1605年) · 『十字架を担うキリスト(プラド美術館)』(1597-1607年) · 『学者の姿をした聖ヒエロニムス』(1609年) · 『羊飼いの礼拝 (メトロポリタン美術館)』(1605-1610年頃) · 『無原罪の御宿り』(1607-1613年) · 『黙示録第5の封印』(1607-1613年) · 『キリストの洗礼(タベーラ施療院)』(1608-1614年) · 『羊飼いの礼拝 (プラド美術館)』(1612-1614年頃)
『寓話』(1580年頃) · 『ラオコーン』(1610-1614年頃)
『トレド風景』(1597-1599年頃) · 『トレドの景観と地図』(1610-1614年頃)
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