『週刊文春』(1997年12月18日号)などの報道によると、タイタニック生還者の1人であるイギリス人のローレンス・ビーズリーが1912年に出版した著作『THE LOSS OF THE SS.TITANIC』の中で「他人を押しのけて救命ボート(13号ボート)に乗った嫌な日本人がいた」と証言したことが日本国内で広まったことにより、細野は当時の新聞や修身の教科書などから批判に晒されたという。1997年にタイタニック展示会主催団体「タイタニック・エキシビション・ジャパン」の代表マット・テイラーが、細野の手記や他の乗客の記録と照らし合わせた調査から、ビーズリーと細野は別の救命ボートに乗っており、人違い[注釈 2][注釈 3]であることが判明して細野の名誉が回復されたとしている[6]。
細野が批判されていたとする説への疑問
一方、ジャーナリストの安藤健二は、細野がビーズリー証言をもとに批判されていたという逸話自体に疑問を呈している。安藤の調査ではビーズリーの著作『THE LOSS OF THE SS.TITANIC』から日本人に関する証言を見つけることはできず、また、当時の修身の教科書や新聞にも細野を批判した物は発見されなかった。そもそも、タイタニック号沈没事件について触れている教科書は1925年発行の『正定 女子副読本 巻二』(金港堂)と『補修教育 現代文読本 後編二』(文光社)の2冊のみであり、そこに掲載されているのはいずれも経済学者である和田垣謙三のエッセイ『タイタニック号
の沈没』だが、「日本人も一人居たが、これは幸にも助った」とあっさり触れているだけで、細野への批判などはまったく記述されていない[6]。