紀州伊達家(きしゅうだてけ)は、伊達氏の支族である駿河伊達氏の分家。紀伊伊達家とも呼ばれる。駿河伊達氏は伊達氏の祖である伊達朝宗の四男の四郎為家を祖とする家系であり、仙台藩主家となった伊達宗家とは同族とはいえ、最初期の12世紀に分岐した遠い支族である。
概要
紀州伊達家は、大坂夏の陣で活躍して徳川家康の十男の頼宣(紀州徳川家の祖)に仕えた伊達盛次を祖とする。
この盛次より5代後に陸奥宗光の父の伊達宗広(千広)がいる。宗広の頃は幕末で、紀州藩内における和歌山派(藩政改革派)の中心人物として家老山中筑後守を補佐したが、筑後守の死後、幕府との親交があった水野忠央に実権を奪われると田辺に幽閉された。その後も脱藩した罪で解放と幽閉を繰り返している。
宗広の部屋住みの子であった宗光は、幕末の頃から陸奥の名字を名乗った。宗光は明治政府において外務大臣、農商務大臣を歴任し、衆議院議員にも当選している。外務大臣時代には外国と結んだ不平等条約の撤廃に成功し、1894年(明治27年)8月に子爵を叙位されている。日清戦争以降は伯爵となる。
宗光の長子広吉は英国に留学し、同地で出会った英国人女性のエセル・パッシングハムと結婚している。宗光の次子潤吉は古河鉱業の創設者古河市兵衛の養子となって2代目社長となった。妹の初穂は衆議院議長や貴族院議員などを歴任し、後に男爵となった中島信行に嫁いでいる。
その他、宗光の母親は岡崎邦輔の母親と姉妹関係にあり、邦輔は長坂家から岡崎家に養子に入り、後に宗光の後継者として衆議院議員に当選し、立憲政友会に所属して逓信省官房長、農林大臣などを歴任している。邦輔の孫に元駐タイ大使で政治評論家の岡崎久彦がいる。
系譜
凡例:実線は実子、破線は養子および婚姻、太字は当主
脚注
関連項目