篠田 勝清(しのだ かつきよ、1895年(明治28年)5月27日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。福岡県出身。
福岡県立中学修猷館を経て、海軍兵学校第44期入校。卒業時成績順位は95名中第22位。1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦において戦艦山城の艦長として戦い、敵からの集中攻撃を受け、西村祥治司令官と共に沈みゆく艦と運命を共にした。享年49。