第3次ブレア改造内閣(だいさんじブレアかいぞうないかく)は、イギリスの首相トニー・ブレアによって組閣されたイギリスの内閣。2006年5月5日に発足し、トニー・ブレア首相辞任後、2007年6月27日、ゴードン・ブラウン新政権の発足と共に解散した。
概説
組閣前日に行われた地方統一選挙における労働党の大敗北を受けての内閣改造であり、前内閣から大幅な人事異動を行った。これは、ブレア政権始まって以来の大改造であり、「冷酷な」人事とも言われた[1]。
閣内には首相側近のブレア派と、ブラウン蔵相への政権禅譲を求めるブラウン派の間に亀裂が深まっており、ブレア首相は側近のジョン・リード、アラン・ジョンソン、デイヴィッド・ミリバンドらを横滑りさせて政権の安定化を図った[2]。
一方で、ブレア政権は地方統一選直前の4月26日には現職閣僚の不祥事が同時に明らかになるという事件に見舞われている。この事件は「労働党のブラック・ウェンズデー」と呼ばれ、それぞれ当事者となった閣僚の処遇にも注目が集まった[2]。不倫騒動が発覚したジョン・プレスコットは、副首相の座には留まったものの権限を大幅に削られ、担当省と行政権限を持たない副首相となった。本来国外追放処分にするべき1000人近い外国人犯罪者を国内に釈放していたというスキャンダルを報道されたチャールズ・クラーク内務大臣は更迭され、後任にブレア派重鎮のジョン・リードが就任する。また、パトリシア・ヒューイット保健相も王立看護士学校で行った演説が非難を浴びていたが、結局留任となった。
閣僚
脚注
外部リンク
関連項目