竹山 恭二(たけやま きょうじ、1931年3月[注 1] - 2008年8月6日[3][4][5][6][7])は、日本のアナウンサー[8][9]、映像作家[3][5][6][4]、文筆家[5][4]。本名、同じ[4]。
叔父は評論家・ドイツ文学者・小説家の竹山道雄[10]。妻はTBSアナウンサーのちメディア史研究者の竹山昭子[3][6][5]。
東京都生まれ[1][4][7]。1953年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業[1][7]。同年2月にラジオ東京(KR。のちの東京放送=TBS[注 2])へ入社[8][9]、アナウンサー第2期生[8][9]として編成局アナウンス課へ配属[9]。報道番組[8]を担当。
その後、1954年12月に編成局報道部テレビニュース課へ異動ののち[9]、報道局テレビ報道部を経て[9]、1967年2月に編成局放送部、1976年9月テレビ本部制作局制作部に在職[9]。テレビニュース記者[1][7]を務めたほか、ニュース番組[4]やドキュメンタリー番組[1][4][7]の制作、映像ライブラリー等を手掛けた[1][4][7]。
1977年11月に制作部署を離れ[9]、人事室開発センター[9]、1978年2月テレビ本部テレビ営業局業務部[9]、1983年11月企画調査局資料部[9]にそれぞれ在職し、1986年3月にTBSを定年退職[8][9]。
TBSを退職後は、文筆家[1][5][4]、映像作家[4][6][5](記録映像作家[1][7])として活動(専攻は日本近現代史[1][7])。2005年、著書『報道電報検閲秘史 丸亀郵便局の日露戦争』で第53回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞[6][5][4][7]。
2008年8月6日10時30分[3]、肺炎のため[6][5][4][7]東京都中野区の病院で[3]死去[3][4]。77歳没[3][6][5][4][7]。
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