立川 談笑(たてかわ だんしょう)は江戸・東京の落語の名跡。当代は六代目と名乗っている。当代以前に談笑は四人ほどおり、談生を入れて六人前後確認されている。
六代目 立川 談笑(たてかわ だんしょう、1965年9月23日 - )は落語立川流所属の落語家である。東京都江東区北砂出身。本名∶小田桐 英裕。出囃子は『野球拳』『佃』。
海城高等学校を経て早稲田大学法学部卒業後、司法試験の勉強をしていたが方向転換。「らくごin六本木」で強烈な印象を残した立川藤志楼(高田文夫)に入門しようとするが「落語の弟子はとらない」と断られる。だが、藤志楼に、藤志楼の師匠にあたる立川談志への入門を示唆され[1]1993年2月に七代目立川談志に入門、立川談生(だんしょう)を名乗る。
1996年7月、二ツ目昇進。2003年に六代目立川談笑を襲名。
2005年、真打昇進。2006年に国立演芸場の六月上席(1~10日)に出演。1983年の落語協会脱会以後、立川流としては初定席。
2015年に平成26年度彩の国落語大賞を受賞する。
2021年5月末に甲状腺乳頭がんの手術を受ける[2]。
身長182cm。基本は古典落語だがアレンジ色が強い。
極度の怖がりで『ザ☆ネットスター!』ではちょっとしたことでビックリしてしまい、イスから転げ落ちたりしている。 2008年時点におけるネット歴は「パソ通も入れていいならネット歴20年[3]」との事。
古典落語を、ブラックジョークを交えながら改作し演じることが多い。
大きく改作した上で、演題も変更することがある。
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