空中投下(くうちゅうとうか, Airdrop)は、航空輸送の一形態であり、飛行中の航空機から物資を投下し、所要の地点に物資を届ける方法である。自衛隊では、人員が降下する空挺降下と、貨物・装備を投下する物料投下の2種類に分けている[1]。
第二次世界大戦の時点で用いられていた輸送機は、いずれも貨客搭載口が胴体左側面(ポートサイド)に設けられており、開口部も小さかったため、空中投下できる兵器は機関銃や軽迫撃砲などに限られた[2]。空挺兵がより強力な装備を使用するためには、軍用グライダーや、あるいは輸送機を強行着陸させて持ち込む必要があった[2]。大戦後まもなく大型パラシュートとプラットフォームによる重物料投下方法が開発され、アメリカ空軍においては、1948年のフェアチャイルド C-119の実用化とともに重物料投下が可能となった[2]。
重物料の投下方法は、コンテナを用いるものとプラットホームを用いるものの2種類に大別され[3]、このための器材は、陸上自衛隊では重物料投下器材として装備化されている[1]。
ただし、パラシュートによる投下では、風に流されて着地位置がずれるという問題がある[5]。この問題に対して、アメリカ軍ではGPS誘導を導入した統合空中精密投下システム (JPADS) を開発しており、2007年には実戦投入した[5]。通常の空中投下では輸送機は地上との高度差が400–10,000フィート (120–3,050 m)程度のところを飛行するのに対して、JPADSを用いた投下の場合は25,000フィート (7,600 m)からでも精確に投下可能であり、対空兵器による脅威を低減できるというメリットもある[5]。
一方、CDS・PDSよりも小型・軽量な物資を投下するときには低コスト低高度投下(Low Cost Low Altitude, LCLA)という方式が用いられる[6]。これは小さな木製パレットに荷物と落下傘を固定し、乗員が手で押してドアから投下するという手動の方式である[6]。また心理戦用のビラや一部の人道支援物資の投下の場合は、衝撃を考慮しないため、パラシュートも装着しないで投下する自由投下(Freedrop)が用いられる[7]。
日本の航空法では第89条で規定されており、落下地点に損害がない地点であって、事前に国土交通大臣に届け出れば可能となる。全国高等学校野球選手権大会では、開幕試合の始球式のボールは航空機から球場へ投下されるが、これは甲子園球場完成前年の1923年8月16日に鳴尾球場で開催された第9回全国中等学校優勝野球大会以来の伝統で、連合国軍占領下ではアメリカ軍機によって行われたこともあり、1956年の第38回大会以降は朝日新聞社のヘリコプターによって行われている[8]。
なお自衛隊の場合は自衛隊法が優先される為、国交省に届け出なくとも空中投下を行う事が出来る。
国際連合世界食糧計画では、1973年8月から干ばつに苦しむチャドやマリ共和国、モーリタニア、ニジェール、セネガル、オートボルタ(現ブルキナファソ)の国々を対象に支援物資の空中投下を始めた。ただし、空中投下については地上輸送の7倍もの費用、十分な広さの投下先の確保、トラックと比べて少ない輸送量などの問題があり、選択肢が無い場合の最後の手段として実施されている[9]。
2024年3月、ガザ地区では食糧難が深刻化し、アメリカ軍による人道支援物資の空中投下が行われた[10]。空中投下に際しては、海域に落下した物資を回収しようとした住民が溺死[11]、投下された物資のパラシュートが開かず民家に直撃し5人が死亡、10人が負傷する事故も発生した[12]。また投下された物資が仮設テントに直撃、付近に落着したことにより、3歳の男の子が死亡、2名が負傷する事故も発生した。[13]同年5月、ハマースは死者の発生状況から、空中投下の中止を訴えた[14]。