稲川 英雄(いながわ ひでお、1924年12月31日[2][3] - 2004年3月5日)は、日本のアナウンサー。
東京都中央区出身[4]。
日本橋生まれ[4]。『テレビ演芸会』『素人うた合戦』等を担当。更に、1953年12月、三原山大爆発リポートを担当[3]。1966年1月にラジオ営業局JRN業務部、1967年2月にラジオ局放送部、1967年7月に第一制作部、1968年9月に第二制作部に所属[3]、ラジオ交通情報の初代ヘリリポーターを務める[2][3]。1969年3月にはテレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部、1970年3月にはテレビ本部編成局放送部、1970年9月には開発室に在籍した後、1972年12月に審議室委員に[3]。1973年11月には調査局審査部、1974年2月には人事室開発センターに在籍した後、1974年3月、福島テレビ[7]に出向し[3]、FTVテレポートのキャスターを担当した[8]。1976年4月、TBSに戻り、テレビ本部パッケージ事業室、1976年11月、テレビ本部編成局編成部に在籍後[3]、1980年1月、TBSを定年退職[2][3]。
TBSを定年退職後、中国広播公司の招聘を受けて台湾台北市に渡り自由中国の声(現・台湾国際放送)の日本語放送アナウンサー、初めて日本語による国慶節の実況放送を行う[9]。1985年10月にはラジオ韓国日本語班の校閲委員・アナウンサーも担当した[4]。日本に帰国後は、台湾国際放送のリスナークラブ(玉山クラブ)の会長を務めるなど、リスナーの集いの開催や国際放送の発展に尽力していた[9]。
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