秋元 春朝(あきもと はるとも、1881年〈明治14年〉9月10日[1] - 1948年〈昭和23年〉5月13日[1])は、大正から昭和前期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・毛利、旧名・寛三郎[1]。
東京府出身。子爵・毛利元功の三男として生まれ、子爵・秋元興朝の婿養子となる[1][2]。1904年(明治37年)学習院高等科を卒業[3]。イギリスに留学し、1908年(明治41年)、バーミンガム大学商科を卒業した[2][3]。養父・興朝の死去に伴い、1917年(大正6年)5月15日、家督を相続して子爵を襲爵した[1][4]。
1912年(明治45年・大正元年)以降、拓殖局嘱託、拓殖局総裁秘書官兼逓信大臣秘書官、鉄道大臣秘書官、日英博覧会事務局嘱託、英皇太子接伴準備委員、帝都高速度交通営団監事、鉄道会議議員、海事審議会委員、上毛電気鉄道相談役などを務めた[2][3]。
1925年(大正14年)1月24日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[5]、研究会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]。