『神秘の島』(しんぴのしま、原題 L'Île mystérieuse )は、フランスの作家ジュール・ヴェルヌが1874年に発表した冒険小説である。他の日本語タイトルとしては『神秘島物語』、『ミステリアス・アイランド』などがある。
南北戦争のさなか、南軍拠点であるバージニア州首都リッチモンドはユリシーズ・S・グラント将軍率いる北軍により包囲されてしまった。南軍は包囲網を突破するため、気球で外の南軍と連絡を取ることを計画する。リッチモンド内に南軍の捕虜として監禁されていた北軍の支持者たちは、この気球を奪って脱出することを計画し、1865年3月20日に脱出を決行する。しかし、途中で気球が降下を始め、3月24日に太平洋上のある無人島に漂着する。
南緯34度57分00秒 西経150度30分00秒 / 南緯34.95000度 西経150.50000度 / -34.95000; -150.50000に位置するこの島は地図にも載っておらず、他の島とも離れ、航路からもかなり外れた位置にあった。救助は絶望的と見た一行はこの島をリンカーン島と名付け、サイラス技師をリーダーとしてここで自活することを決心する。
島での暮らしは順調だったが、散弾で仕留められた猛獣が見つかったり、海賊の船が機雷により沈没させられるなど、彼らを危難から救うような不思議な出来事が多発する。そして1868年10月15日に何者かから彼らのもとに連絡が入る。そのあとを追っていくと、海底洞窟があらわれ、そこには潜水艦ノーチラス号が碇泊していた。
艦内にはネモ艦長と名乗る老人がおり、招き入れた彼らに自身と島の来歴を語り、遺言を残して息を引き取る。彼らは遺言どおりにノーチラス号をネモの棺として海底深くに沈めた。
一方、サイラスはネモから近いうちにこの島が崩壊することを知らされていた。脱出用の船の建造を進めていた彼らは作業を急ぐが、1869年3月8日の夜に島のマグマだまりと海を隔てていた岩盤が崩壊し、島は水蒸気爆発により一瞬にして吹き飛んでしまう。彼らはわずかに残った岩の上で救助を待つが水と食糧が枯渇。しかし、島に漂着してからちょうど4年後の3月24日の朝、グレナヴァン卿がタボル島に残されたネモの書き付けを発見し、彼らは卿のダンカン号により救助される。
故郷に戻った彼らは、ネモの遺した財宝を元にアイオワ州の広大な土地を買い取り、そこをリンカーン島開拓地と名付けて開拓に身を投じるのだった。
この作品には、『海底二万里』に登場したネモ艦長や『グラント船長の子供たち』に登場したエアトンなども登場するため、『グラント船長の子供たち』、『海底二万里』、『神秘の島』を合わせて三部作とされることがある。しかし、各々の作中で示される年代が矛盾しており、ヴェルヌも注釈で日付の違いについて「やがてなぜ正確な日付が記されなかったか、おわかりいただけると思う。」と書いたが、結局説明がなされぬまま終わった[2]。
以下の日本語表記は『神秘の島(上・下)』清水正和訳 福音館書店に従う
複数回にわたって映像化されている。そのうち1961年にレイ・ハリーハウゼンの特撮で作られた映画 Mysterious Island は『SF巨大生物の島』のタイトルで日本にも紹介されている。
1973年にはフランス・イタリア・スペイン合作のテレビドラマ L'île mystérieuse として、『かくも長き不在』(1961年)のアンリ・コルピ監督による演出、オマー・シャリフ主演で映像化された。しかしこの作品は、イタリアの名作曲家ジャンニ・フェッリオによる美しい音楽以外に見るべきところのない駄作と評価されている。[要出典]このドラマは劇場公開用に再編集され、日本でも『ミステリー島探検/地底人間の謎』のタイトルで1976年8月に公開されている(ビデオ化された時のタイトルは『神秘の島/地底人間の謎』)。
また、カナダ製のTVシリーズ Mysterious Island (1995年)は日本ではNHK教育テレビジョン(Eテレ)で『ミステリアス・アイランド』として放映された(「海外少年少女ドラマ」の項も参照)。