相模陸軍造兵廠(さがみりくぐんぞうへいしょう)は、第二次世界大戦敗戦前に存在した日本の陸軍造兵廠の一つ。戦後は、接収されて大部分がアメリカ軍相模総合補給廠になっている。
所在地は神奈川県高座郡大野村上矢部、矢部新田および相原村小山(1941年の合併により高座郡相模原町、現相模原市中央区)。前身の相模兵器製造所は1938年(昭和13年)に開所、1940年(昭和15年)に相模陸軍造兵廠と改称して成立した。相模原駅北側から矢部駅北側にまたがる現在のアメリカ軍相模総合補給廠のうち、北東側の野積場を除いた部分が相模陸軍造兵廠の敷地だった[1]。主に陸軍の戦車部品、本体、試作機の製造などを行っていた。戦車道路と呼ばれる附属のテストコースは現存し、緑道として利用されている。また相模陸軍造兵廠の旧敷地内にある総合相模更生病院は、陸軍造兵廠附属病院が戦後に医療機関として再出発したものである。