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この項目では、放送作家について説明しています。
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田村 隆(たむら たかし、1941年4月1日 - 2024年12月18日)は、日本の放送作家。茨城県古河市出身。明治学院大学文学部卒業。愛称は「タムセン」(田村先生の略。名付け親は加藤茶と木の実ナナ)。
経歴
大学在学中に「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)の秋元近史ディレクターに自作のコント台本を送付。それを目にした秋元から番組収録の見学に誘われ、そこで青島幸男を紹介されて弟子入りして放送作家としてデビュー。70年代〜90年代に多くのヒット番組を生み出し、多い時は週に14本のレギュラーを抱えていた。
妻は元女優、モデルの狩野恵子。
2024年12月18日午後7時40分、敗血症のため東京都内の病院で死去[1]。83歳没。
エピソード
- 多忙な時期は番組の会議が重なることもしばしばで、長丁場になる会議はテーブルに手帳だけ置いて抜け出し、別の局の会議に出席。そしてまた手帳をテーブルに残し別の局へ、という荒業を繰り出していた。本人はバレていないと思っていたが、後にTBSの居作プロデューサーからお年賀として大量の手帳をもらったという。通称”タムセンの手帳”と言われる。
- 70年代当時は手書きの原稿用紙を使用しており、忙しい時は番組スタッフが取りに来ていた。その際、どうにも間に合わない時があり。封筒に”原稿用紙在中”と書いて白紙の原稿用紙を入れたものを渡した事がある。本人曰く、嘘はついてない。とのこと。
- PTAが選ぶ、子どもに見せたくない番組ワースト10のうち、6番組を担当していた。
担当番組
NHK(日本放送協会)
日本テレビ系
TBS(東京放送)系
フジテレビ系
テレビ朝日系
テレビ東京系
主な著書
- 「ゲバゲバ」「みごろ!食べごろ!」「全員集合」ぼくの書いた笑テレビ(双葉社)
- 天下御免のワースト番組 全員集合!!(出版社あ・うん)
- 昭和バラエティ番組の時代:1955~1989 ちょっとだけ狂気TVの35年(河出書房新社)
- 親をからかうユーモア バカ息子の親孝行 - 1977年、KKベストセラーズ、ワニの豆本(こじま啄磨との共著)
- 伊東四朗・小松政夫の笑って!笑って!!60分 – 1977年、KKベストセラーズ、ワニの豆本(PART2もあり)
- バカげた本 大笑いだよ全員集合! – 1981年、KKベストセラーズ、ワニの豆本(「田村隆とその一派」名義)
脚注