田井 洋子(たい ようこ、1911年8月9日[1] - 2008年3月13日)は、昭和・平成期の脚本家。
東京生まれ[1]。兄は田井真孫。本名・丸茂ふぢ子。東京府立第三高等女学校卒[1]。その後薬剤師を目指して薬学専門学校に進学する[1]も、学内が大学への昇格運動 で揺れて休校状態だったため[1]、進路を変更してタイピストになり、10年間官庁に勤務[1]。
1929年、詩人の河井酔茗に入門し師事[1]。しかし田井本人は詩が書けなかったことから[1]、河井に勧められた岡本綺堂に師事して劇作を始め[1]、綺堂主宰の「舞台」などに作品を発表。河井の元にはその後河井が亡くなる1965年まで通い続け[1]、他に額田六福、岡田八千代にも世話になった[1]。
1948年NHK懸賞放送劇に「魚紋」が1位入選[1]。代表作にラジオ「最上川」、テレビ「恋文」[2]「パパと歩こう」、「パパの育児手帳」、「香華」、「裁きの家」、「鬼のいぬ間に」、「いつか青空」、「青春」 、「雪燃え」、「ただいま11人」、「嫁ぐ日まで」、「花の番地」、「忠臣蔵・女たち・愛」など。墓所は多磨霊園(4-1-24)