田中 寛一(たなか かんいち、1882年(明治15年)1月20日 - 1962年(昭和37年)11月12日)[1]は、日本の教育心理学者。文学博士[2]。東京文理科大学名誉教授。日本の心理測定の先駆者。「田中ビネー知能検査」「田中B式知能検査」をはじめ、多くの心理検査を考案した[3][4][5]。
岡山県出身[3][注釈 1]。心理学者として初めて文化功労者、紫綬褒章を受賞[6][7]。勲二等旭日重光章[8]。
1882年1月20日、岡山県赤磐郡で生まれる[9]。岡山県師範学校、東京高等師範学校を卒業後、山梨県師範学校の教諭を3年ほど勤めるが、恩師の松本亦太郎が京都帝国大学に実験心理学の講座を開設したことを知り、同大学哲学科に入学する[9]。1913年、京都帝国大学文学部哲学科卒業[3]。同時に松本が東京帝国大学に移ることになり、田中は後を追って同大学大学院へと進む[9]。大学院修了後も松本の元で研究を行う[9]。
単著
共著
監修・編著
講演録
分担執筆
学位論文
学術論文
紀要
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