生瀬地区(なまぜちく)は兵庫県西宮市の北東部にある地区。塩瀬地域(旧塩瀬村)の内の南側約3分の1にあたる。
六甲山地の東麓にあたる。地区の大部分が山地であり、南北の山塊の間を太多田川が西から東へ流れ武庫川に合流する。市街は地区の東端部にあたる武庫川沿いに形成されている。武庫川の左岸に青葉台・花の峯・生瀬東町、武庫川の右岸に生瀬町・生瀬武庫川町・宝生ケ丘・生瀬高台が位置している。西は山口町船坂、北は塩瀬町名塩と接する。東と南は宝塚市と接する。
鎌倉時代の1241年(仁治2年)、西山派開祖・証空が浄橋寺を建立したと伝えられる。鎌倉・室町・戦国期を通じてたびたび「生瀬」の地名が文献に登場しており、生瀬が有馬街道(生瀬口)の要所であったことがうかがえる。江戸中期の1711年(正徳元年)に正式な宿駅となる一方で、青野道の宿駅である名塩や小浜とは対立関係にあったという。
1898年(明治31年)に阪鶴鉄道(のちの福知山線)の延伸により終着駅として有馬口駅が開業。翌1988年(明治32年)に三田駅まで延伸されたのちに生瀬駅に改称した。明治期に現在の国道176号にあたる道路が整備され、1924年(大正13年)には名塩と宝塚との間にバスが開通する。
1904年(明治37年)にウィルキンソンタンサン鉱泉宝塚工場が操業開始。宝塚駅からの側線に「惣川駅」が設けられ、鉄路で各地へと炭酸水が輸送された。1990年(平成2年)工場閉鎖、1995年(平成7年)解体。跡地には1997年(平成7年)にマンション「セルヴィオ宝塚」が竣工しており、敷地の一角に「ウィルキン記念館」が設けられている。
また明治期からは砕石業も行われており、伝承伝説のある琴鳴山はその姿を大きく変えてしまっている。
現行行政地名と郵便番号は次の通り。丁目は省略した。[1]
9自治会(惣川、惣川東、宝生が丘、生瀬高台、花の峯、青葉台、生瀬、セルヴィオ、サーパス)により生瀬地区自治会連絡協議会を構成している。
生瀬町2丁目に集中している。