片田 長治郎(3代目かただ ちょうじろう、生年不明‐1919年(大正8年))とは明治時代の地本問屋、彫師。初代と2代目は彫師をしていた。
文英堂と号す。片田長次郎ともいい、元々は彫師で初代、2代目は代々「彫長」として知られていた。また片田彫長、彫片長とも号しており、井上河内守家中の出身であった。初代は落合芳幾、歌川芳富、歌川芳虎、月岡芳年、2代目歌川国輝の錦絵を彫っており、2代目のものと思われるものに4代目歌川国政の錦絵がみられる。
3代目の時より文英堂と号して明治20年以降、版元となって浅草区諏訪町19番地、後に明治28年には浅草茅町1丁目2番地で地本問屋を営業しており、歌川国利、3代目歌川国輝、中澤年章の錦絵を出版している。明治35年か明治36年頃まで彫師の仕事も行っていた。享年66。