源 定房(みなもと の さだふさ)は、平安時代後期の公卿・歌人・能書家。村上源氏顕房流、権中納言・源雅兼の四男。母は源能俊の娘。源雅定の養子[1]。官位は従二位・大納言。堀川大納言と号す。
経歴
従兄にあたる右大臣・源雅定の猶子となる。侍従、右近少将、讃岐権介、備中権介、春宮権介、蔵人頭などを歴任し、保元2年(1157年)参議になり翌年従三位になった。
その後、美作権守に任ぜられ、仁安3年(1168)に大納言・従二位に進む。また後白河院庁別当にもなる。文治4年(1188年)6月に病により出家し、翌月に薨去。享年59。
一説には、赤松氏は定房の子孫の系統とされる。
系譜
脚注
参考文献