渡辺 蕗子(わたなべ ふきこ、1963年3月28日 - )は、日本のピアニスト、作曲家、編曲家、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、イベント・プロデューサー。
神奈川県川崎市出身。父は日本大学理工学部電気学科元教授(2011年他界)。4人弟妹の長女。
概要
天性の絶対音感を活かして、中学・高校・大学在学中から、音楽活動に入る。1982年夏のニュー・ウェイヴバンド「ショコラータ」に、二代目のキーボーディストとして参加[1]以降、プロとして本格的な活動に入り、バンドマスターとして同バンドのライブのための楽曲、デビュー・シングル 、デビュー・アルバム、ビデオの楽曲の多くを担当[2]。1986年、坂本龍一が音楽監督を務めた映画「子猫物語」(同年7月12日公開)のサウンドトラックに作曲者として参加[3]するなど、同年9月のショコラータ解散前後からソロでの活動を始める。楽曲提供など、他歌手のサポートを手がけ、「FUKICOS OPERARIA」「世紀末のアフロディーテ達」他、数々のイベント・プロデュースも手がける。ライブでは様々な歌手とコラボレーションしている。Last Waltz
経歴
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日本大学芸術学部音楽学科(作曲)入学後、早稲田大学のオリジナル中心のバンドサークル「Modern Music Troop」(MMT、1960年創立)に参加[2]。
1982年夏、ニュー・ウェイヴ・バンド「ショコラータ」に参加。以来、ライブのための楽曲制作。カセット・マガジン・TRAスペシャル・イシュー「ショコラータ」(1983年10月)、デビュー・シングル 「いつか見た青空」、デビュー・アルバム『ショコラータ』(双方とも1986年6月、キングレコード)、ビデオ「黒い月のニーナ」(1985年7月、WAVE)の音楽監督を担当する[2]。
1984年2月公開の吉川晃司デビュー映画「すかんぴんウォーク」(大森一樹監督、宮川泰音楽)の音楽制作に参加[2]。
1986年、坂本龍一が音楽監督を務めた映画「子猫物語」(同年7月12日公開)サウンドトラックに作曲・編曲で参加。同年9月のショコラータ解散とともにソロ活動を始め、イベントの音楽、CM・テレビ番組の主題歌・音楽のプロデュースを手がける。
1988年〜、NHK総合「ジャストポップアップ」ジングル担当。
1989年、三上博史2ndアルバム『ORGA'N』(12月21日発売、Invitation)に、「腸肉」「風の追憶」「回帰線」の作曲・編曲・サウンド・プロデュースで参加[4]。
1990年以前から「THE THRILL」結成時にバンドマスターとして参加。同年の坂本龍一・矢野顕子夫妻(当時)の渡米の際、矢野が愛用していたグランドピアノを譲渡される。その後、躁鬱病発病。入退院を繰り返す。双極性障害との診断を受ける。
1993年、「FUKICOS OPERARIA」スタート。以後、渋谷ジァン・ジァン、南青山MANDALA等で、MAGUMI、覚和歌子、窪田晴男、甲田益也子、杉本恭一、清水ミチコ、戸川純、天野小夜子、小川美潮ら多彩なゲストを迎えて続行中[2]。
1994年、松江潤のCD「WORK OUT EP」(9月21日発売)に参加。
2000年、窪田晴男とのユニット「柿生音楽会議」を結成[2]。
2002年、MAGUMIと「Venus & Mars」を結成。後に、いしだ壱成が加入。
2008年6月、自宅録音による「Venus & Mars」のアルバム『Blueprint』リリース。
2010年3月29日、バースデイライブを南青山MANDALAで開催。同年7月25日は藤井丈司、8月17日は佐久間正英&unuspected monogram[5]と南青山MANDALAでのライブで共同プロデュース共演。同年11月、Ustreamでピアノの練習風景等の配信を開始。
2011年3月11日に発生した東日本大震災被災直後、地元でチャリティコンサートを主催。「ふんばろう東日本」と連携して被災地の子供達の為に非売品クリスマスCD-Rボランティア制作のトップとして参加。
2012年から2013年にかけて「渡辺蕗子& fukicos」ライブを村松邦男、大政和寛、Dr.Tommy、大久保敬、古田たかしらとともに行う。神戸ではFRYING DUTCHMANと共演。
関連人物
脚注
出典
外部リンク