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渡辺就国

 
渡辺 就国
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 文禄2年1月7日1593年2月8日
改名 渡辺元→渡辺就国
別名 通称:新右衛門尉
官位 肥後守受領名
主君 毛利元就隆元輝元
氏族 源姓粟屋氏嵯峨源氏融流渡辺氏
父母 父:粟屋元国
養父:渡辺広
兄弟 粟屋元堅、男子、就国
粟屋元充、女(門田元実室)[1]
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渡辺 就国(わたなべ なりくに)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏の家臣。

生涯

毛利氏の譜代家臣・粟屋元国の三男として生まれ[2]渡辺広の養子となった。初めは渡辺元と名乗り、後に就国と改名した[2]

年不詳ではあるが、いくつか残されている毛利家近習衆の具足注文の一つに就国の名も記されているものがあり、就国の具足数は6両と記されている[3]。また、騎馬衆や走衆の構成を記した文書には走衆の9番目に「渡邊新右衛門尉」と記されている[注釈 1][4]

天文19年(1550年7月12日から7月13日にかけて毛利元就によって安芸井上氏が粛清された直後の7月20日に毛利氏家臣団238名が連署して毛利氏への忠誠等を誓った起請文においては、126番目に「渡邊新右衛門尉」と署名している[5]

天文20年(1551年1月1日に作成された番帳において、内藤彦九郎井上光俊と共に5番に列せられる[6]

弘治3年(1557年)1月1日に作成された番帳において、山県元重坪井助七郎と共に2番に列せられる[7]

同年12月2日に毛利氏家臣239名が名を連ねて軍勢狼藉や陣払の禁止を誓約した連署起請文において、23番目に「渡邊新右衛門尉」と署名している[8]

永禄3年(1560年)に行われた周防国玖珂郡山代地方検地で検地奉行を務めたほか[9]、山代の宇佐大原郷草使に任命される[2][10]

永禄5年(1562年)6月、尼子方の石見国人である本城常光が毛利氏に服属して石見銀山が毛利氏のもとに戻ったが、本城常光の毛利氏服属は以前から本城常光と抗争していた石見国の毛利方勢力に疑心を抱かせる恐れがあった[11]。その対応の一例として、元就は就国を使者として邑智郡二子山城主・出羽元祐のもとに派遣し、本城常光が毛利氏への服属を希望していることを事前に伝えて、了承を得ている[12]

永禄8年(1565年12月18日石見国美濃郡において堂原8貫目、くの原7貫目、小多田名10貫目の合計25貫文の地が、元就から就国の次男・勝法(後の粟屋元充)に給地として与えられた[13]

永禄12年(1569年8月3日、かつての神辺城主・山名理興の家老であった藤井皓玄尼子勝久の挙兵に応じて神辺城を攻撃した[14]。当時、神辺城主の杉原盛重は北九州に出陣して不在であり、留守居として庄原肥後守が神辺城を僅かな兵で守っていたが、衆寡敵せず城を逃れた[14]

同年10月、楢崎豊景村上亮康、庄原肥後守らが備中国浅口郡西大島で藤井皓玄を討ち取り、神辺城を奪還した[14]

元亀3年(1572年)の毛利氏掟では、奉行人の下で日常の政務を行う番衆の一人として名を連ねている[2][15]

文禄2年(1593年1月7日に死去[2]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 萩藩諸家系譜 1983, p. 1059.
  2. ^ a b c d e 舘鼻誠 1986, p. 286.
  3. ^ 『毛利家文書』第625号、近習衆具足注文。
  4. ^ a b 『毛利家文書』第628号、騎馬衆以下注文。
  5. ^ 『毛利家文書』第401号、天文19年(1550年)7月20日付、福原貞俊以下家臣連署起請文。
  6. ^ 『毛利家文書』第629号、天文20年(1551年)1月1日付け、毛利氏番帳。
  7. ^ 『毛利家文書』第630号、弘治3年(1557年)1月1日付け、毛利氏番帳。
  8. ^ 『毛利家文書』第402号、弘治3年(1557年)12月2日付、福原貞俊以下家臣連署起請文。
  9. ^ 『毛利家文書』第1485号、周防国山代四箇郷検地前付立。
  10. ^ 『閥閲録』巻72「渡邊新右衛門」第1号、年不詳3月9日付け、兒三右(兒玉三郎右衛門就忠)宛て、(毛利)隆元書状。
  11. ^ 毛利元就卿伝 1984, pp. 368–369.
  12. ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 369.
  13. ^ 『閥閲録』巻68「粟屋平左衛門」第1号、永禄8年(1565年)12月18日付け、渡邊新右衛門尉(就国)殿宛て、(毛利)元就宛行状。
  14. ^ a b c 毛利元就卿伝 1984, p. 590.
  15. ^ 『毛利家文書』第404号、毛利氏掟。

参考文献

  • 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第8-2 毛利家文書之二』東京帝国大学、1922年2月。 オープンアクセス国立国会図書館デジタルコレクション
  • 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第8-4 毛利家文書之四』東京帝国大学、1924年8月。 オープンアクセス国立国会図書館デジタルコレクション
  • 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQNCID BN01905560全国書誌番号:84027305 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修、野村晋域著『毛利元就卿伝』マツノ書店、1984年11月。全国書誌番号:21490091 
  • 舘鼻誠「元就・隆元家臣団事典」河合正治編『毛利元就のすべて』新人物往来社、1986年9月、243-286頁。国立国会図書館デジタルコレクション
  • 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻68「粟屋平左衛門」、巻72「渡辺新右衛門」
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