津田 清子(つだ きよこ、1920年6月25日 - 2015年5月5日[1])は、俳人。奈良県生。奈良女子師範(現在の奈良教育大学)卒。卒業後は小学校教師として勤務。当初は前川佐美雄のもとで短歌を学んでいたが、1948年、橋本多佳子[2]の七曜句会に出席したことをきっかけに俳句に転向。多佳子に師事し「七曜」同人となるとともに、多佳子の師である山口誓子にも師事し[2]誓子の「天狼」に投句。1951年に天狼賞を受賞、1955年「天狼」同人。1971年「沙羅」を創刊、主宰[3]。1986年同誌を「圭」に改称。2000年、第六句集『無方』で第34回蛇笏賞受賞[4]。2012年、「圭」を8月号で終刊。
代表句に「虹二重神も恋愛したまへり」など。多佳子の激しい叙情性と誓子の知的構成とを受け継ぎ、しばしば「硬質の叙情」と評される。句集に『礼拝』『二人称』『縦走』『葛ごろも』『七重』『無方』『津田清子句集』。俳人協会顧問[2]。
監視きびしき中少年囚蝶手掴む
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