水越 豊(みずこし ゆたか、1956年 - )は、日本の経営コンサルタント。
ボストンコンサルティンググループ(BCG)、2005年より11年間、日本代表を務める。現シニア・アドバイザー。
金沢工業大学虎ノ門大学院イノベーション・マネジメント研究科客員教授[1]。
早稲田大学経営管理研究科、諮問委員。
日本ラグビーフットボール協会副会長。
経歴
東京都生まれ。東京大学経済学部卒業[2]。1980年に新日本製鐵(現・日本製鉄)に入社し、八幡製鉄所(現・日本製鉄九州製鉄所八幡地区)に配属された。
1988年にスタンフォード大学(アメリカ合衆国)で経営学修士を取得
1990年にボストンコンサルティンググループに入社[3]。
2003年10月、BCGは名古屋市中村区に国内2カ所目の事務所となる名古屋事務所を開設。水越は同事務所の代表に就任した[4]。2005年、BCG日本代表に就任[2]。
2016年1月、BCG日本代表の退任とともに同社シニア・パートナー・アンド・マネージング・ダイレクターに就任[5][6]。
同年6月、ライフネット生命保険の社外取締役[6]およびアサガミ株式会社社外取締役[7]。
2018年 株式会社カプコンの社外取締役[8]。
2019年 公益財団法人日本ラグビーフットボール協会理事[9]、
一般社団法人ジャパンエスアール ヒト・コミュニケーションズサンウルブズ非常勤理事[10]。
2020年 株式会社ADKホールディングス社外取締役・監査等委員[11]
2022年 公益財団法人日本ラグビーフットボール協会 副会長 就任
エピソード
- 東京都立国立高等学校[12]時代、AFSの制度を利用し、アメリカ合衆国・ピッツバーグの高校に留学。アメリカンフットボールの経験はなかったが、高校のチームに所属し、キックオフ・リターンを担当した[13]。
- 1990年代半ば、ゲームメーカーカプコンのコンサルタントを担当した。社員のモチベーションを向上させたいというカプコン側の要求に対し、水越らは成功報酬制度を提案し、採用された。当時のゲームクリエーターの給料は年功序列型だったため、ヒット作を産んだ場合に多額の報酬を払うシステムは画期的だった。成功報酬型の新システムのもとで生み出された初のゲーム「バイオハザード」は世界中でヒットし、ソフトの売り上げ低下に悩んでいたカプコン復活のきっかけとなった[14]。
著書
脚注
- ^ “水越 豊”. KIT虎ノ門大学院. 2022年1月7日閲覧。
- ^ a b “水越 豊”. BCG Japan. 2022年1月7日閲覧。
- ^ “ボストン・コンサルティング・グループ日本代表水越豊氏(1)スーツとワイシャツ――転職後のトレードマーク(こころの玉手箱)”. 日本経済新聞 夕刊: p. 18. (2014年6月23日)
- ^ “経営戦略コンサルティングのBCG 名古屋事務所を開設へ”. 読売新聞 中部朝刊: p. 7. (2003年8月30日)
- ^ “ボストン・コンサル、日本法人代表に杉田氏が昇格。”. 日本経済新聞 朝刊: p. 12. (2015年11月27日)
- ^ a b “ライフネット生命保険 人事異動(2016年6月26日発令)”. 日経WHO’SWHO人事異動情報. (2016年5月12日)
- ^ “アサガミ 人事異動(2016年6月28日発令)”. 日経WHO’SWHO. (2016年5月13日)
- ^ “カプコン 人事異動(2018年6月11日発令)”. 日経WHO’SWHO. (2018年5月8日)
- ^ “2019年度、2020年度 役員人事のお知らせ”. 日本ラグビーフットボール協会. 2022年1月7日閲覧。
- ^ “役員交代のお知らせ”. サンウルブズ公式サイト. 2022年1月7日閲覧。
- ^ “ADKホールディングス、役員の異動を発表 2019年12月31日付・2020年1月1日付”. スタートライズ広告ニュース. 2022年1月7日閲覧。
- ^ 猪熊建夫 (2013.02.12). “〔名門高校の校風と人脈〕/31 国立高校(東京都立・国立市)=猪熊建夫”. エコノミスト 91 (7): 46-47.
- ^ “ボストン・コンサルティング・グループ日本代表水越豊氏(3)アメフトのボール(こころの玉手箱)”. 日本経済新聞 夕刊: p. 20. (2014年6月25日)
- ^ “ボストン・コンサルティング・グループ日本代表水越豊氏(4)バイオハザード――業界の常識変えた提案(こころの玉手箱)”. 日本経済新聞 夕刊: p. 20. (2014年6月26日)