樹 まり子(いつき まりこ、1970年1月28日 - )は、日本の元AV女優。
埼玉県大宮市(現・さいたま市)出身[3]。
1989年、青木さえこ名義で『素晴らしき日曜日』[4]『快楽天国』『猥褻淑女ビーナスの雫』の3本同時リリースで、AVデビュー[5][6]。当初はこれで引退予定であったが、『巨乳』『淫乱』のキーワードで人気が沸騰。
その後、お願いされると断れない性格だったこともあり、『樹まり子』に改名し[4]、1990年に活動を休止するまでの間、AVのみならず成人映画も含めて50本以上の作品に出演(月に5本弱というハイペースで作品をリリースしていたことになる)[5]。わずか2年間の活動にもかかわらず、上記にあるように、当時のAV界での超売れっ子女優であり、当時のAV業界の景気がいかに凄かったかを物語っている。
だが、人気絶頂の1990年に活動を休止し、活動の場を雑誌のコラムの執筆やインタビューの聴き手等に移し、AVの仕事は行わなかったが、1992年に『樹マリ子』と改め、再びAV女優の活動を再開する。当初は5本限定との契約だった[5]。(本人のインタビュー記事によると)当時、経営不振に陥っていた会社から限定(本人的には5本限定のつもり)で復活し、その起死回生作品が爆売れし、会社は経営を立て直した[7]。
AV男優の加藤鷹と付き合っていた。(1990年頃から)恋愛(同棲)期間は5年半続いた。(加藤鷹のインタビュー記事より)[8]
1994年に再び活動を休止。
同時期のAV女優、樹(みき)まり子とは別人。なお、樹(みき)まり子の出演作は、1991年『セクサロイドMIKI ボディコング女王様』、1991年『新ビデギャル養成講座 Vol.1 猛特訓!エンドレスピストン』、1992年『ラヴァー・ミキ』、1994年『鮮烈実写7』など。
趣味は、料理、ドライブ[9]、下着集め[2]、スキューバダイビング[1]。
デビュー作の『素晴らしく日曜日』を撮影しその時の「青木さえこ」という女優名を考えたという監督の清水大敬は、「性の観音菩薩」と形容している。1年ぶりにあったとき、外見の方はふっくらと太り20歳の女の子と思えないほどの貫禄がついている等全体的に変わっていたが、性格の方は全く男優やメーカーの悪口を言わず全くスレてなく明るいままだったという[10]。
異なるプロフィールがいくつかある。
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