横井 弘(よこい ひろし、1926年(大正15年)10月12日 - 2015年(平成27年)6月19日)は、昭和期の日本の作詞家。
経歴
東京府東京市四谷区出身で、旧制帝京商業学校を卒業。
1945年5月25日の東京大空襲で自宅が全焼し罹災。同年6月に召集されて入営し、茨城県で初年兵として沿岸防備隊の任務に就く。
終戦と共に軍隊から復員したものの、敗戦のどさくさで帰る家を失くし、知人のいた長野県下諏訪町に家族で転居。「これからは好きな詩の道で生きよう。」と決心し、毎日、湖畔や周囲の山々を歩き詩作にふけった。15編余りの作品が完成し、最も気に入った一編が八島ヶ原湿原で作った「あざみの歌」だった。
1946年に東京へ戻り、キングレコードに就職し、作詞家・藤浦洸にも師事。「あざみの歌」の歌詞をキングの女子社員に渡しておいたが、1948年には日本音楽著作権協会に正式入社することになった。
1949年8月8日、「あざみの歌」がNHKのラジオ歌謡で放送される。同曲は1951年8月、伊藤久男の歌唱でレコード発売され、大ヒットとなる。また、八島ケ原湿原には、あざみの歌の歌碑がある。
1950年にコロムビアの専属となり、1953年にはキングレコードへ移籍(1968年にフリーとなる)。
1974年、第16回日本レコード大賞の第1回中山晋平・西條八十賞を受賞。
1992年、第34回日本レコード大賞で功労賞を受賞。
2015年6月19日、肺炎のため死去[1]。88歳没。
代表曲
脚注