榊 保三郎(さかき やすさぶろう、明治3年4月24日(1870年5月24日) - 昭和4年(1929年)3月19日)は、日本の医学者である。医学博士、文学博士。
明治3年(1870年)4月24日、駿河国駿東郡沼津(現静岡県沼津市)生まれ。父は蘭学者の榊令輔。長兄・榊俶(はじめ)、次兄・榊順次郎、ともに医学者、医学博士である。明治32年(1899年)、東京帝国大学医科大学を卒業し、明治35年(1902年)、助教授となり、明治36年(1903年)から明治39年(1906年)、文部省留学生として英米独仏の精神病理学を研究した。明治38年(1905年)イタリア・ローマで開催された万国心理学会に日本政府代表として出席し、同学会部長となった。またベルリン精神学会常設委員となり、明治39年(1906年)11月帰国し、京都帝国大学福岡医科大学教授に転じ、以来、同大学で精神病学を講じ、スタイナッハの若返り法研究に没頭していたが、九州帝大特診疑獄事件に連座、職を辞した。翌年、法文学部に入学。明治39年(1906年)、論文「相撲取の畸形耳に就いて」で医学博士、大正10年(1921年)、論文「学齢児童より丁年に至る精神教育の研究」で文学博士の学位を取得した。墓所は染井霊園(1イ-4-8)。
妻の梅子は加藤弘之の七女である。
音楽愛好者であり、九大フィルハーモニー創立に深く関わった。ヴァイオリンの名手としても知られ、留学先のベルリンでヨーゼフ・ヨアヒムにヴァイオリンを師事した[1]。
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