椎野 伝治郎(しいの でんじろう、1849年(嘉永2年2月25日)[1] - 1909年(明治42年)8月3日[2])は、日本の政治家。徳島県徳島市出身。
椎野庄左衛門の四男として名東郡八万村(現在の徳島市八万町)で生まれる。岡本塾に入り、晤室に漢学を学んだ[3]。
その後、名東県・徳島県の役人となり、1882年(明治15年)に徳島県会議員となり、後に徳島県会議長を長く務めた。1889年(明治22年)、憲法発布に際し、徳島県民を代表して式典に参列した[3]。
1892年(明治25年)には第2回衆議院議員総選挙に出馬し当選した[3]。
1909年(明治42年)8月3日、61歳で没する[3]。
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