森 秀人(もり ひでと、1933年4月15日[1] - 2013年6月15日[要出典])は、日本の評論家。本名は秀男[1](演劇評論家の森秀男とは別人)。
東京出身[1]。早稲田高等学院卒[1]。
1958年、三一書房の評論募集に入選[1]。1959年、加太こうじ、鶴見俊輔、佐藤忠男、虫明亜呂無、邑井操らと大衆芸術研究会を創設[2]。
1962年に松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校で、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、栗田勇らとともに講師をつとめた[3]。自立学校にはスタッフに平岡正明、学生に唐十郎、宮原安春、諸富洋治、赤瀬川原平、鈴木忠志らがいた[4]。平岡正明・宮原安春は、森の弟子になる[5]。
『思想の科学』編集長を、1963年7月号から1964年4月号までつとめる[6]。1963年に平岡・安原が犯罪者同盟の機関誌の単行本『赤い風船あるいは牝狼の夜』を刊行し、猥褻図画頒布の容疑で警視庁から指名手配を受け、警視庁戸塚警察署に逮捕された際には、森が身元引受人となっている[7]。
月刊『七宝芸術』編集長ののち、評論活動に専念する。当初は沖縄自立論を唱え既成左翼の「祖国復帰」論を厳しく批判する新左翼の論客であったが、現在は『釣魚大全』を翻訳した釣り師として一部で知られる存在である。考古学・民俗学・釣りなどの著書がある。
2013年逝去[8]。