柳沢 保承(やなぎさわ やすつぐ、旧字体:柳澤 保承、1888年〈明治21年〉12月20日[1] - 1960年〈昭和35年〉10月25日[1][2])は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院伯爵議員。
経歴
伯爵・柳沢保申の長男として生まれ、義兄柳沢保恵の養子となる[1][3]。養父・保恵の死去に伴い1936年(昭和11年)6月15日、伯爵を襲爵した[1][4]。
1914年(大正3年)京都帝国大学法科大学を卒業[2][3]。1921年(大正10年)私立大阪信愛高等女学校講師となる[2]。以後、柳沢統計研究所総裁、日本錫工業取締役会長、太平洋海上火災保険取締役などを務めた[2][3][注釈 1]。
1939年(昭和14年)7月10日、貴族院伯爵議員に選出され[6][7]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。その他、大礼使典儀官、商工省委員、軍需省委員などを歴任した[2]。
親族
関連項目
脚注
- 注釈
- 出典
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。