松平 忠張(まつだいら ただはる)は、江戸時代中期の伊勢桑名藩の世嗣。官位は従四位下・飛騨守。
松平忠雅の六男として誕生。母は毛利綱広の娘・類。
父・忠雅の六男ではあったが、嫡出(正室の子)だったため継嗣となる。享保19年(1734年)に8代将軍・徳川吉宗に御目見した上、飛騨守に叙任されるも、家督相続前の元文3年(1738年)に早世した。法名は圓應元通乾龍院。
代わって、庶兄・忠刻が嫡子となった。
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