松平 定時(まつだいら さだとき)は、江戸時代前期の大名。伊予国今治藩の第2代藩主。定房系久松松平家2代。官位は従五位下・美作守。
略歴
初代藩主・松平定房の次男。母は内藤政長の娘。幼名は長松、長松丸。
寛文10年(1670年)に兄・定経が早世したため、同年8月に世子となる。延宝2年(1674年)6月26日、父の隠居で跡を継ぐ。文武を奨励するなどしたが、延宝4年(1676年)8月19日に父の後を追うように死去した。享年42。
跡を次男・定陳が継いだ。墓所は東京都江東区白河の霊巌寺。
系譜
- 父:松平定房(1604-1676)
- 母:内藤政長娘
- 側室:嶺頂院殿 - 平岡氏
- 生母不明の子女
- 養子
久松松平氏 今治藩2代藩主 (1674年 - 1676年) |
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藤堂家 | |
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久松松平家 | |
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