東江 一紀(あがりえ かずき、1951年〈昭和26年〉9月6日 - 2014年〈平成26年〉6月21日[1][2])は、日本の翻訳家。 楡井 浩一(にれい こういち)名義でビジネス書・ノンフィクションの翻訳を行っていた[3]。
英米の娯楽小説やノンフィクションを主として翻訳する。『犬の力』『レクサスとオリーブの木』などがある。翻訳学校ユニカレッジで長年、講師を務め、多くの翻訳家を輩出[4][5] 。日本推理作家協会会員。
長崎県生まれ。
小学生時代筑摩書房の日本文学全集の3分の1は読破したが、恵まれた運動神経を活かすべくその後は部活動で運動に励んだ。 読書に時間を取らないためにも、大江健三郎など長時間読んでいると疲れるような本を読んだという。
北海道大学文学部英文科に進んでからも授業は二の次に部活動に励んだ。 時間的制約から読んでいて楽しくないと語りながらもヌーヴォーロマンなど前衛や実験的な小説を読んでいた。 「人がやらないから」という理由で卒論にはサミュエル・ベケットを選んだ。
北海道大学文学部英文科卒業。
7年の学生生活を終え、翻訳の通信教育を受け始めるのと同時に陸上を続けられるという理由で英会話教材のセールスの会社に入社するも、肝心の陸上は出来ず仕事内容も想定外だったため5か月で退社。 陸上と翻訳が出来ればいいと一か月の肉体労働アルバイトの後印刷所のアルバイトを始める。しかし目標そっちのけで残業も積極的にやり、時給500円であったにもかかわらず月30万円を稼ぎ出してしまう始末であった。 正社員に登用されてからは定時に帰りながら陸上と翻訳を続けた。8か月した頃には定時に帰れなくなり再びアルバイトへの降格を自ら名乗りでる。
アルバイトに戻ってからは千駄ヶ谷の競技場で陸上競技のトレーニングに励み、あるとき、練習中にアスレチッククラブに声をかけられ、トレーナーとして採用されることが決まる。 しかしその翌日交通事故にあい陸上は続けられなくなり、翻訳に力をいれることを決める。 友人に紹介された師(川村哲郎)の元2年間下積みをするが[6]、その間極貧生活が続く。その友人が師を紹介してしまった責任を取り東江の妻となる。 陸上時代の友人の紹介から仕事を獲得し、以降仕事が舞い込むようになる[7]。
翻訳学校「フェロー・アカデミー」「ユニカレッジ」で講師を務めた[8]。弟子に布施由紀子、那波かおり、吉澤康子、峯村利哉、渡会圭子他多数[5]。
2014年6月21日、食道癌のため東京都町田市の自宅で死去。62歳没。
2015年、ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』(2014/9/28刊)の翻訳により、第一回日本翻訳大賞読者賞を受賞[9]。
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