東條 満喜枝(とうじょう まきえ、1923年(大正12年)- 2000年(平成12年)5月)は、日本で活動した、家事相談を専門とするケースワーカー、カウンセラーである[1][2]。
東條英機の次女で、古賀秀正と結婚し姓は古賀となるが死別した[3][4][5]。その後も古賀の姓のままで活動するが、国立精神衛生研究所在職中に田村健二[注 1]と再婚し姓は田村となった[8][6][9]。マリッジ・カウンセラーとしての業績の大半は「田村満喜枝」によるものである。
戦後、現在の日本社会事業大学に学び、1952(昭和27年)2月16日に国立精神衛生研究所にソーシャル・ワーカーとして入職、児童精神衛生部、次いで社会学部に在籍した[10][8][6]。1958年(昭和33年)8月31日に退職すると、浅草寺が運営する浅草寺相談所[注 2]家庭・婦人相談部主任に転じ、1960年(昭和35年)から東京家庭裁判所家事調停委員を三十年余り務めた[1][10][6][9]。その間、中央社会福祉審議会委員[注 3]に任ぜられるなど、家事調停の第一人者として活躍し、多数の著書を残した[13]。
ケースワーカーを志したのは「戦後の街角には戦災孤児の姿が目をひき、靴を磨く姿に胸が痛んだ。こうした戦争犠牲者、特に母子の方々と共に生きてゆきたかった」としてい、マリッジ・カウンセラーを自称し、家事調停に生涯を奉じた[10][14][15]。
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