杉田 秀男(すぎた ひでお、1935年1月16日 - )は、東京都出身の男性フィギュアスケート選手で現在はフィギュアスケート審判兼解説者。TBSスポーツ局長。明治大学卒。
有坂隆祐に師事。1956年、全日本フィギュアスケート選手権男子シングルで優勝。1957年の世界フィギュアスケート選手権にも出場したが、佐藤信夫の台頭(1957年より全日本10連覇)もあって、選手としての冬季オリンピック出場は叶わなかった。
現役引退後は審判に転身、1968年より国際審判。2002年ソルトレークシティオリンピックでは、審判不正疑惑問題に揺れたペアのジャッジを担当していた。杉田自身は疑惑には無関係であり、同年長野で行われた2002年世界フィギュアスケート選手権では男子シングルのレフェリーを務めている。
2005年で審判(ISU(国際スケート連盟)レフェリー)を引退したが、現在もISUの判定役員評定委員(OACメンバー)を務めている(原則として有資格者は現役審判であるが、杉田は引退後も引き続きISU理事会により任命されている)。2006年・2007年の世界フィギュアスケート選手権では、男女シングル・ペアの3種目で予選(2007年は廃止)・ショートプログラムから全ての演技を会場でチェックしていたとのこと。
かつては日本スケート連盟の理事も務めていたが、久永勝一郎元会長らとの確執により辞任しており、のちに久永らが起こした不祥事に関してTBSの情報番組でコメントが放送された。
ちなみに、杉田はTBSの元社員でもあり、同局でフィギュアスケート中継の制作を担当。平松純子とともに解説も担当していた。現在はJ SPORTSで解説を務めている。
長年に渡り国際大会のジャッジを務めた経験から、選手の長所、短所、個性、技術的な癖などを指摘、専門家の視点から技術的なポイントを解説している。
※ 開催年は年度 1929-65年度は翌年1-4月、1966-81年度は同年11-12月、1982-96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。
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