杉本 健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 2004年2月10日)は、日本の洋画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー。
愛知県名古屋市生まれ[1]。幼少期を津島市で過ごす。津島第一尋常小学校(現在の津島市立南小学校)を経て、1923年に旧制愛知県立工業学校図案科(現在の愛知県立愛知工業高等学校)を卒業[1]。加藤静児のアドバイスにより図案家、今でいうグラフィックデザイナーとして鉄道会社を中心としたポスターや商業デザインの仕事を手がける。1925年に京都に出向き、岸田劉生の門下に入る[1]。1926年に「花」で春陽会に初入選[1]。しかし、絵で生計を立てることはできず、昼はデザイン会社で働き、深夜に絵を描くという日々が続く[1]。
1948年、第1回中日文化賞受賞[1]。1949年、東大寺観音院住職上司海雲師の知遇を受け、観音院の古土蔵をアトリエにしてもらい、奈良の風物を描く[2]。奈良では志賀直哉、入江泰吉らと交流する。1950年、吉川英治『新・平家物語』の挿絵を手がける[1]。1953年、愛知県県政功労者[1]。1958年、吉川英治『私本太平記』『新・水滸伝』の挿絵を手がける[1]。1971年、画壇から離れて自由な創作活動を続ける[1][3]。
1987年、名古屋鉄道により、愛知県知多郡美浜町美浜緑苑に杉本美術館が開館[1][2]。また、この美術館の近くに、名古屋鉄道は名鉄知多新線 美浜緑苑駅を設けた。晩年まで毎週、同美術館に足を運び、美術館内に設けられたアトリエで、デッサンや来館者との歓談を楽しんでいた。
2004年、肺炎のため死去[2]、享年99歳[2]。同美術館は2021年に閉館した[4]。