日向(にこう、建長5年2月16日(1253年3月16日)- 正和3年9月3日(1314年10月12日))は、鎌倉時代の僧侶、日蓮六老僧の一人である。佐渡公、また民部阿闍梨・佐渡阿闍梨とも。日蓮宗総本山身延山久遠寺二世、藻原妙光寺(今の藻原寺)二世。日向の流れを、身延門流・日向門流または藻原門流という。
生涯
生まれは、安房国男金、もしくは上総国藻原と諸説ある。13歳で日蓮に入門して出家得度してからは常にそばにいて仕える。行学に励み弁舌に優れ、日蓮門下の「論議第一」と称された。建治2年(1276年)、使者として日蓮の師道善房の墓前に赴き、日蓮による師追悼のための著述『報恩抄』を代読している。同じく六老僧の一人である日興が執筆した『宗祖御遷化記録』に、「佐土公 日向」とその名を確認することができる。正和2年(1313年)、身延山を日進に譲り、上総国の藻原に隠居するも、その翌年に62歳で死去した。
著作
著作に『金綱集』がある。なお、日蓮の法華経講義を日向が記録したものとして『御講聞書』があげられるが、現代では同書は日向の名を借りたものと考えられている。
脚注
出典
参考文献
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(師匠:日蓮) 日蓮は六老僧の順位を不次第としている。 |
日昭(1236年? - 1323年) - 日朗(1245年 - 1320年) - 日興(1246年 - 1333年)- 日向(1253年 - 1314年) - 日頂(1252年 - 1317年) - 日持(1250年 - 没年不詳)
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