日下 晃次郎[1](くさか こうじろう、1894年(明治27年)9月30日[2][3] - 没年不明)は、日本の実業家、広島県多額納税者[4][5]。廣島證券商事社長[6]。斎藤商店取締役[7][8][9]。
人物
本籍・広島県賀茂郡三津町[1](現・東広島市安芸津町三津)。酒造業・日下賛三の二男[3][10]。広島県立広島第一中学校卒業[3]。1921年、慶應義塾大学部理財科卒業[11][12]。広島産業銀行員となる[3]。1925年、家督を相続した[5][9]。農業を営んだ[2][5][11]。三津酒造専務取締役に就任した[3]。
1930年、加奈陀サン生命保険に入り[3]、広島支部長を務めた[1][7][8]。廣島證券商事取締役[7][13]、同社長を務めた[6]。住友生命保険会社に勤務した[12]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[2]。処世の信条は協力一致[1]。趣味はスポーツ、読書[1]、運動[8][9]。宗教は真宗[8][9]。住所は広島市牛田町[13]、同市牛田本町[1]、同市国泰寺町[8][9]、同市雑魚場町[12]。
家族・親族
- 日下家
家系について『広島県誌』によると「日下家は初代以来16世代々割庄屋を勤めた。三津と云えば日下を連想し、日下と云えば三津を連想せしめたる旧家である」という[3]。
脚注
参考文献
- 吉野民司 編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所 編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 慶応義塾 編『慶応義塾塾員名簿 昭和4年版』慶応義塾、1924-1942年。
- 慶応義塾 編『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』1924-1942年。
- 織田正誠 編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 交詢社 編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『広島県誌』自治調査会、1932年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 大蔵省印刷局 編『官報 1934年05月29日』日本マイクロ写真、1934年。
- 商業興信所編 編『日本全国諸会社役員録 第44回』商業興信所、1936年。
- 交詢社 編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 阪田泰正『芸州賀茂郡三津町の記録』安芸津記念病院郷土史料室、1976年。
関連項目