持明院 基定(じみょういん もとさだ)は、江戸時代前期の公卿。高家旗本・大沢基宿の次男。官位は正二位・参議、権大納言。『入木源底集』を著す。
経歴
持明院基久、基征父子は公家でありながら、大坂の陣に参加し大坂城に入城し、最終決戦の天王寺・岡山の戦いで戦死した(落ち延びたという説もある)。その後、基定が基久の娘婿となり名跡を継ぐことを許された。正保3年(1646年)3月10日、臨時奉幣使として後光明天皇より日光東照宮に派遣され、翌4月17日に東照宮に奉幣する。これが日光例幣使の始まりである[1]。
系譜
脚注