打穴村(うたのそん)は、岡山県久米郡にあった村。現在の久米郡美咲町打穴上、打穴北、打穴里、打穴西に当たる。
沿革
地名の読み方
- 打穴上(うたのかみ)
- 打穴北(うたのきた)
- 打穴里(うたのさと)
- 打穴西(うたのにし)
- 上打穴北(かみうたのきた)
- 上打穴里(かみうたのさと)
交通
村内を走る鉄道およびその駅はなく、また村内を走る高速道路や国道はない。
河川
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
神社
その他
中央町誕生に伴い、大字上打穴北は打穴北、大字上打穴里は打穴里となった。
現在の美咲町の打穴下、打穴中は本来、下打穴下、下打穴中であるが、これらも中央町誕生によって変わった地名である。そのため、打穴西の南に打穴北があるなど、地名から考えられる位置関係が一部不自然になっている。
打穴のつく地名の内、打穴西と打穴上のみそのままである。
浜田藩の飛び地であったため、幕末に藩主の松平武聰らが長州藩の攻撃より逃れた際、藩士やその家族が打穴村に身を寄せ定住した[1]。
脚注
参考文献
関連項目