戸苅 隆始(とがり たかもと、1887年(明治20年)5月17日 - 1959年(昭和34年)2月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。愛知県出身。
年譜
栄典
エピソード
※『海軍生活の思い出 続編』233-241頁に基づく。
趣味は乗馬で、乗馬を始めたのは海軍大学校入校の際に海軍乗馬会に誘われたことがきっかけであった。海軍乗馬会には海軍大学校甲種19期新入生のほぼ20名全員が入会し、毎週日曜日の朝に陸軍大学校で馬術指導官に習うこととなった。しかし、その後は皆学業が忙しくなり乗馬会には出なくなったが、海兵35期の松崎伊織海軍中将、36期の近藤英次郎海軍中将(共に海軍大学校甲種19期)、戸苅の3人だけは熱心に参加していたようで、同期生から「彼等は馬狂だ」と陰口を言われていた。
後年、海軍大学校教官となった際には学生達と共に乗馬を楽しんでいた。ある日曜日、少し遅れて陸軍大学校に乗馬に行った際、厩舎の片隅にいた癖馬以外出払っていたので、さすがにもう乗りこなせるだろうと意気揚々と乗馬したところ、見事に振り落とされて足を負傷し、数日間自宅休養を命じられた。数日後、当時海軍大学校生徒だった海兵45期の富岡定俊海軍少将、46期の高田利種海軍少将が見舞いにきた。後日2人になぜ見舞に来たのか?と聞くと、戸苅の出した作業問題の答案提出期限が迫っていたので、見舞いに事寄せて教官の出欠を確かめていただけであった。
1935年のイタリアによるエチオピア侵攻の際には、フランスからの帰朝を内命されていたにもかかわらず急遽軍令部から地中海方面に展開しているイギリス海軍の偵察を命じられている。早速旅程を決めてトーマス・クック社に旅行実施の細目を命じ、フランス軍令部長に離任の挨拶で訪れたところ「貴殿は近く地中海方面を旅行されるようだが、それは本国の命令によるものですか?」と聞かれ、国際諜報網の早耳さに驚いたと記している。
親族
脚注
- 出典
- ^ 海軍兵学校第三十七期会『昭和三年度第三十七期会報』13頁
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」82頁。
- ^ 『官報』第1040号「叙任及辞令」1916年1月22日。
参考文献
- 海軍兵学校第三十七期会『第三十七期会報』第三十七期会、1928年
- 海軍兵学校第三十七期会『海軍生活の思い出 続編』第三十七期会、1957年