恵解山古墳(いげのやまこふん)は、京都府長岡京市勝竜寺・久貝にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され(史跡「乙訓古墳群」のうち)、出土品は京都府指定有形文化財に指定されている[1]。2003年(平成15年)から2013年(平成25年)まで調査及び保存整備が行われ、2014年(平成26年)に恵解山古墳公園となった。
京都盆地から大阪平野に通じる狭隘部で、桂川、宇治川、木津川の合流点東北の平野部に位置する。京都府南部の乙訓地域最大の古墳である。全長約128m、後円部直径約78.6m、高さ約10.4m、前方部幅約78.6m、高さ10.4mを測る。幅30mの周濠を持つ。埴輪列と葺石が確認されている。5世紀の前半の築造と推定されている。後円部が以前より墓地となっており、内部主体は失われているが、竪穴式石槨と推定されている。1980年(昭和55年)に墓地が他の墳丘部分へ拡張されることになり、長岡京市教育委員会が事前調査を行った。
本能寺の変の後、豊臣秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いにおいて光秀の本陣が置かれた可能性がある[2]。