志戸田用水隧道(しとだようすいずいどう)は、宮城県富谷市志戸田にあった農業用水用隧道(トンネル)[1]で、主に富谷市志戸田地区[2]、大和町舞野地区[3]に水を供給していた。現在は使われていない。
隧道の構造
全長約2750mの用水路のうち、合計約600mの3つの隧道があり各々、縦横120cmほどの四角い構造となっている。隧道内部の地肌はむき出しとなっているものの、水によって浸食されることが少なくなるよう、又、浮遊物が隧道内に滞って詰まり、水の流れの妨げとなることがないような工夫が随所になされていて、長年の使用に耐えうる構造となっていた。
沿革
- 1736年(享保21年)仙台藩志戸田村(現:富谷市志戸田)など[4]の肝入だった、千坂半左衛門の主導で吉田川の綱木堰から[5]志戸田村や舞野村の水田の水不足解消の為に千坂家個人の私財を投入し、用水堀の掘削に着手した。地盤の弱い個所の水路は度々の吉田川の氾濫で、堀自体が土砂で埋まったり、川自体の浸食作用で削られるなどして使用に耐えなくなる為に、全工程、約2750mのところ、3箇所に於いては、隧道を掘って、川の氾濫時にも耐えうる構造とせざるをえなかった。工事は困難を極め、千坂半左衛門の子、孫が工事を引き継いだ。
- 1786年(天明6年)頃 およそ50年の歳月をかけ完成し、通水が開始された。
- 1987年(昭和63年) 新しいコンクリート製の新用水路に置き換えられ、当時の用水路は使用を終え埋め立てられ、トンネル(隧道)は閉鎖された。閉鎖後は一部を地元、富谷市が管理している[6]。
参考文献
周辺の歴史的建造物など
アクセス
脚注
- ^ 富谷町. “富谷町 富谷集遊 志戸田隧道”. 2015年3月9日閲覧。
- ^ “志戸田の区域図”. 2015年3月9日閲覧。
- ^ “舞野の区域図”. 2015年3月9日閲覧。
- ^ 志戸田村(現:富谷市)、高田村・舞野村・蒜袋村(現:大和町)4ヶ村の肝入だった。
- ^ 汲み上げポンプなどない時代だったので、水田よりも常時水面が高い個所から取水する必要があった。
- ^ 2号隧道、3号隧道の出入口などが残っており、その全てが内部に入れないわけではない。
外部リンク
座標: 北緯38度25分47.04秒 東経140度53分18.68秒 / 北緯38.4297333度 東経140.8885222度 / 38.4297333; 140.8885222