徳大寺 公能(とくだいじ きんよし)は、平安時代後期の公卿・歌人。左大臣・徳大寺実能の長男。官位は正二位・右大臣。大炊御門右大臣と号す。
経歴
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
人物像
後白河天皇が践祚すると娘の忻子は中宮となり、後白河帝在位中の保元元年(1156年)に右近衛大将、保元2年(1157年)に権大納言と急速に昇進する。
二条天皇の要請による藤原多子の再入内に対しては、『平家物語』では積極的、『今鏡』では困惑と、態度に違いがある。永暦元年(1160年)7月に正二位右大臣となるが、翌年8月に現職のまま47歳で薨去した。
多芸多才で管弦・歌・朗詠等に優れ、歌に関しては義兄である藤原俊成や、かつての家人・西行と交渉が深い。『詞花和歌集』以下、勅撰集に32首が入集する。
系譜
脚注
参考文献
- 『公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 保延4年(1138年)に公能が参議となった時以降の記事。
- 『尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「徳大寺公能」の項。
- 角田文衛『待賢門院璋子の生涯 ー 椒庭秘抄』、朝日選書281、朝日新聞社